趣味の謡曲の仲間の一人は、三月末に新神戸駅近くの小公園で夜桜の観桜会に参加したものの、「いや、寒くて参りました」とのこと。それでも微醺を帯びれば『忠度』か『吉野天人』でしょう、と水を向けてみるが、「それどころじゃありませんでした」という。
四月に入ってもけっこう肌寒い日が続く。しかし桜は咲いている。そこで好天の日を選んで家人に車を出してもらった。
まずは王子公園へ行き、東端の青谷川沿いに咲いているのを愛でながら坂を北上し、また東行して摩耶ケーブル駅前に出る。そこから桜並木を降る。100メートルほど南下する坂道の両脇にずーっと満開の桜の木が並んでいる。その花のカーテンのわずかな隙間に藍色に光る瀬戸内海が見える。なんとも美しい。今年もこの桜並木を潜りぬけることができた。満足である。
坂を降り切って東行する。護国神社あたりのバス道の両脇にも幾本かの桜があり、花道をつくっている。見上げると六甲の山肌は点在する桜花に芽吹き始めた木々の緑が立ち混じり、柔らかな、そしてけだるい目覚めのごとき表情を見せている。
阪急芦屋川駅まで走り、そこから川沿いに阪神芦屋駅まで南下する。両岸の桜は国道2号線あたりまで続く。ここも満開である。一時川岸でバーベキュウする人たちがいて顰蹙を買っていたが、禁止令が出たのか、昨今は見かけない。爛漫たる桜花、潜りぬけながら流れる河水、遊歩しつつそれを愛でる人影――けだし文化都市芦屋にふさわしい光景だろう。どうぞこのままバーベキュウの油と匂いに汚されないでほしいものだ。
帰宅して車を降りた後、今度は歩いて近所の一本桜を観に行く。今年も存分に花を付けた枝が垣根を越えて歩道に張り出し、道行く人に花を投げかける。しばし佇み、願わくは豪奢なる花吹雪わが身の上に降りかかれよ、と念じてみる。
夕刻、新筍の煮物を肴に燗酒の徳利を傾ける。
狂い女の襟にひとひら櫻川 朱呑子
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