2019年08月15日

[vol.53]『アルケスティス異聞』上演始末

劇団清流劇場7月公演『アルケスティス異聞』のシナリオ作成を担当した。その顛末を記しておきたい。

エウリピデスの『アルケスティス』(前438年上演)はサテュロス劇の代替品として上演された、すなわち上演4作品の最後4番目に口直しの小品として上演されたとしている。とはいえサテュロス劇(及びその代替品)がつねにコミカルな附録の小作品ばかりというわけでもない。けっこうシニカルな問題も扱われている。

ギリシアの小国ペライの王妃アルケスティスは夫アドメトスの身代わりとなって死ぬ。アドメトスの友人ヘラクレスがたまたまそこへ行き合わせ、葬儀の取り込み中にもかかわらず手厚い接待を受ける。事実を知ったヘラクレスは感じ入り、歓待のお返しに死神の手からアルケスティスを取り返してやる。
かくして大団円となるのだが、アルケスティスは死神に捧げられた身の浄めが済むまで三日間口が利けないことになっている。その三日が経つまでに、しかし劇は終わってしまう。「そりゃないだろう、三日後に彼女が何を喋るか、聞かせてくれ」と、客席の男たちは、いや女たちも、騒ぐ――はずである。

原作にはない三日後のアルケスティスの言葉と行動を「かくやあらん」と書き加えたのが『アルケスティス異聞』である。

死から甦ったアルケスティスはもうかつての彼女ではない。新しい生を求めて家を出る。そんな近代的な自立する女性をギリシア古典劇に唐突にくっつけてはならん、とお叱りを蒙るかもしれない。千秋楽のアフタートークの場でも客席からそういう批判の声が上がった。それじゃノラの二番煎じに過ぎないということだろう。
しかしアルケスティスはノラではない。前5世紀半ばにも「生きること」を始めた女性はいたはずで、なにもノラがその種の最初の女性ではない。むしろノラこそアルケスティスを模倣したのだ。付け加えれば、新しく出発する彼女に触発されてアドメトスも新たな生を生き始める――そういう状況を三日後の彼ら二人の前途に予想できる――『アルケスティス異聞』の異聞たるところはそこにある、と言っておこう。

古典は後世の各時代の吟味を受ける。受けてまたいっそう強靭になる。そしてその都度蘇生する。

ギリシア悲劇はオイディプスやメデイアやアンティゴネら選良のためにだけあるのではない。そこには死と生をめぐって罵り合うぺレスとアドメトスのような庶民の味が横溢する親子も居る。日常生活の足下にも悲劇は転がっている。
庶民は悲劇を言挙げしないだけだ。
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2019年08月01日

[vol.52]ピンポンダッシュ

家人が留守の日は留守番役をしなければならない。電話番から始まって各種集金の応対、宅急便の受け取りなど多岐にわたる。
午後3時ごろ、部屋にいると外の廊下でピンポンと鳴る音がする。階下の門口に付けてある装置のボタンが押されたのだ。腰を上げて廊下に出て機器の画面を見るが、人影は写っていない。わざわざ玄関まで降りて行くこともなかろう。部屋の窓から首を出して門口あたりをさぐってみるが、どうやら無人の様子である。ときどきこんなことがある。

拙宅の前のバス通りの歩道部分は近くの中学校の通学路になっている。おそらくそのうちのAかBが知らぬ顔をしてボタンを押したのだろう。

憶えがある。遠い昔、小学校の通学路の途中にちょっとした邸宅があった。進駐軍に接収されて今は将校官舎だという噂だった。ときおりダンスパーティ―なども開かれていたらしい。市の中心部は終戦の年の6月末の空襲で丸焼けとなったが、東部の山に近い一帯は焼失を免れた。六高の校舎、日銀の行員寮、県庁職員の官舎などがある中にわれらの小学校もあった。

その通学途中、この邸宅の呼び鈴をちょっと押す。そして猛ダッシュで逃げ去る。たいていは下校時である。それをよくやった。われら以外にも、そうやってスリル満点の遊戯をやっていた連中もいたかもしれない。

「カバン持ち」もやった。これは中学生になってからもやった。友達三、四人で下校する途中、じゃんけんで負けた者が罰として皆のカバンを持って運ぶ。途中で犬を見つけたら罰則は解消し、新たにじゃんけんをやり直す、というものだ。子供は場に応じてさまざまな遊びを思いつくものだが、流行り廃りもあるのだろうか、最近はとんと見かけない。少なくとも拙宅近辺では。

「ピンポンダッシュ」のほうは、しかし今も盛んなようだ。玄関ベルは、昨今では邸宅はもとより一般庶民の陋屋にも付いているから、子供たちが狙う獲物は随所にある。するほうはし放題、される方はされ放題だ。
玄関ベルが大邸宅を象徴するものとして存立していた時代では、たとえ押し逃げされても家の主人は慌てず騒がず、子供たちの悪戯を平然と受け流していたものだが、今どきの陋屋の主人には残念ながらそのような大人君子の風格はない。捕まえて懲らしめてやろうと玄関先へ飛び出すものの、敵はとっくに逃げ去ったあと、歯ぎしりしながら地団太踏むのがせいぜいだ。

やがて夏休みだ。といって油断はならない。部活で登下校する子供が多いからだ。大人ならぬ小人凡夫のわが身に、押されても平然と受け流すことがはたしてできるかどうか。この夏の観察課題である。
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2019年07月15日

[vol.51]小航海記

誘われて小航海をしてきた。「ダイアモンド・プリンセス号」という巨大客船に乗って、神戸港から高知、鹿児島を経て韓国の釜山まで往復6日間の船旅である。本当はエーゲ海クルーズが望みで、心中ではしばらく前から漠然と予定していたのだが、諸般の理由で無理とわかり、くだんの小航海に――渡りに船というにはいささ角落ち感無きにしも非ずだが――乗ったのである。

誘ってくれた人はすでに何回かクルージングに参加して、この種の船旅の処方に慣れている。そのあとに付いて船内を回遊していれば、まずは大丈夫だろう。
いざとなればデッキに坐って海を見ながらビールでも飲んでいればよい。

船は夜間に航海して、寄港地では朝から夕刻までたっぷり周遊時間が確保されている。
高知では船からのシャトルバスで市内へ。まずははりまや橋、次いで日曜露天市場を冷やかし、昼食にカツオのタタキを塩味で食す。夜は船でオードリー・ヘプバーンお薦めと称するスパゲティその他を食したのち、船内の大シアターでミュージカル・ヒットメロディのパレードを楽しむ。

鹿児島ではレンタカーを借り、同行の知人の運転で桜島を一周。遠くからでは白煙に隠れた噴火口も近くに行けば姿を見せる。往年の噴火で破壊された湯の宿の浴場だけ営業中のところを捜し、ゆったりと温泉に浸かる。船の狭いシャワールームとは大違いだ。夜の天文館は断念。船に戻ってイタリアンレストランで夕食。持ち込み(一定の開栓料を払えば可)のワインを飲み、大劇場で落語(枝雀の弟子筋のダイアン・某女史)を楽しむ。

釜山ではオプショナルツアーの一つ「梵魚寺・免税店・海鮮市場を巡るバスツアー」に参加。梵魚寺は釜山市北部の山中にある禅宗の古刹だが、日本の類似の寺院に比べるとどうも荘厳さに欠ける印象がある。年月とともに薄れてきているとはいえ、壁に残る極採色には違和感を禁じ得ない。
港の魚市場の露天に並べられている魚貝類はなぜか鮮度が優れず、購買欲を喪失させる。たとえ新鮮でも、旅の身には買い込むことは無理なのであるが。
夜、船内の寿司屋に坐って日本酒を飲みつつ鮨をつまむ。
食後、大劇場でミュージカル「ザ・シークレットシルク(民話「鶴の恩返し」の洋風版)」を観る。舞台装置が船内劇場とは思えぬほど凝っていて豪華。俳優たちも各自熱演で楽しく見せる。最後、観客全員スタンディングオベイションで幕を閉じる。

神戸出港時の天候は雨と強風。紀伊水道以南ではどうなるものかと危惧したが、10万トンの船はいささかも揺れず高知着。以後は好天に恵まれ、自室のデッキに出て輝く海と空をしばし眺めやる毎日。ルームサービスの朝食をデッキチェアにくつろぎながら楽しむこともできた。

ただこのように楽しむことに忙しく、海上は暇だろうからと持参した書物は1ページたりとも開くことなく、葡萄酒色の海を友に瞑想にふけることも一刻としてなかったことは遺憾としなければならない。凡人は置かれた状況に唯々諾々として従うもの、それを認識させられた6日間だった。

30年ほど前、若かりし妻、幼き息子たちとともにアテネのピレウス港からアイギナ島まで一日クルーズをしたことがある。アファイア神殿の横の松林でセミを捕まえたっけ……
出来るかどうかわからぬが、エーゲ海クルーズは予定表から外さないでおこう。
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