2019年02月01日

[vol.40]初詣

大晦日、テレビの画面では紅白歌合戦が終わり、各地の寺院の除夜の鐘が中継され始めるころ、年越し蕎麦を食べ、家から5分の横屋八幡神社へ初詣に出かける。

先日来の寒波も和らぎ、日和もよろしく、参詣してみれば、参道にはすでに3、40名の参拝客が列をなしている。以前は列をなすほどの人影はなく、並ばずとも参詣してお神酒をいただき、境内で焚く焚火に凍える手を翳したものだが、この変わりようはどうだろう。町内の住民に近年特別に信仰心が芽生えたわけでもなかろうに。

横屋(村)という地名は16世紀末の古文書にも出て来るというが、先の大地震後の復旧工事中に古代の甕棺が出土したというから、この辺り一帯は古代から人々の住むに適した土地だったのだろう。近世には海ぎわに多数の酒造り屋が集まって、灘五郷の内の魚崎郷、御影郷を形成していた。いまでもその盛業ぶりは変わらない。

待つことしばらくして拝殿に進み、いつものように手を合わせた後、おみくじを引き(末吉を確認してから)、お神酒と、それに甘酒も欲張っていただく。日頃生活の中ではもう経験することの無くなった焚火がバチバチとはじけて燃えるのを懐かしく耳に聞く。

子供らが小学生の頃は一緒に参詣したものだが、すでに親離れした彼らはいい歳をしているのに、カウントダウンに加わるのだと言って早くから三宮まで出掛けてしまった。それもよし。カウントダウンといえば、老生もかなり前にマドリードのソル広場で詰めかけた市民に混ざってワインの瓶を片手に騒いだことがある。フランコ政権の末期の頃で、思い返せばいまの息子たちと同じくらいの年齢だった。

神戸市民が初詣に向かうのは生田神社、湊川神社などが主なところだが、わが故郷では吉備津の稲荷神社が有名だった。ただし老生はそこに参詣したことはない。いつも住まいに近い東山の玉井宮が参詣先だった。正月早々から人波に揉まれるのはよしとしない。元旦の雑煮を済ませた後、小さな書斎の陽だまりのなかで、書物を広げるのが最も好ましい。

いま読んでいるのは夏目鏡子述松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫)である。木曜会という名目で仲間と漱石の読書会をしているが、無数にある評論(漱石論)の類は、老生は一切読まないようにしている。作品そのものだけに直に当たりたいからである。漱石の全集版の各作品に付いている小宮豊隆の解説も読まない。前掲の『漱石の思い出』も読むつもりはなかったが、次の木曜会で取り上げる予定であるので、仕方なく読んでいる。しかしこれはこれで面白い。『明暗』の冗長さを病魔との関係でどう捉えるか、言ってみれば、作品の出来具合と作者の私的生活とを何處まで関連付けて考察してよいか、これは作品評価の上で大きな問題となる。ギリシア悲劇のような古い時代の作品の場合、作者に関する情報はどんな片言隻句でも珍重するものだが、考えてみればそれが作品の真っ当な評価に繋がるか否かは、実は疑問なのだ。
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2019年01月15日

[vol.39]忘年会

師走である。師が走る季節である。当方は、しかし5年前に退職したから、もう走る必要がなくなった。とはいうものの、それなりに忙しいことは忙しい。その点は以前と変わらない。ただ無暗にあちこち走り廻らないだけである。

中旬に3日連続して忘年会があった。その1。JR神戸線に甲子園口という駅がある。
駅南口にちょっとした商店街があり、その中に「えんぐち」という居酒屋がある。愚生含めて3人、耄碌三銃士が寄って飲んだ(ダルタニヤンは欠席)。極小規模の忘年会である。いずれもかつて同じ職場にいた者同士、時々寄って無事を確かめあう仲である。居残って威張り続けている元の上司をさんざ腐して酒のアテにし、バイトの男子が某大学野球部の投手だと聞いて、いずれ甲子園で勇姿を見せろと激励(!?)する。

翌日は阪和線で一路和歌山へ。かつて部長職を務めていた県立医大ヨット部の追いコンに参加する。場所はJR和歌山駅前の居酒屋「梅屋」。OBその他を入れて総勢30余名が集う。部員集めに苦労した昔とは隔世の感あり。当時主将として部を引っ張っていたのが、いまや南和歌山医療センター院長になり、和歌山県セーリング連盟の会長になっている。現部員に、近い将来オリンピックに出場しそうなのが男女一人ずついるという。楽しみである。追い出されてゆくのは4人。来春3月にはその4人全員が和歌山の地を離れるという。その身はいずこにあろうとも6年間馴染んだ和歌浦の爽やかな水の感触は忘れることはあるまい――そんな餞(?)の言葉を贈る。家に帰り着いたら12時を回っていた。

引き続いて3日目は大阪梅田の北新地。例の「阪神教育問題懇談会」の忘年会。処はいつもの「ふ留井」。ひとり(酒豪のスペイン演劇研究者)はよんどころ無い用事で名古屋まで出掛けて欠席だが、残りの4名がそれでも賑やかに甲論乙駁し、また麗しき熟女の女将と大阪漫才を繰り広げながら今年を締めくくる。いつもの献立に加えて本日の一品はオコゼの煮つけ。一同満足の内に酒が進む。

忘年会も3日連続となると、老体にはさすがに応える。それでも若い学徒との交歓には老醜の身を一瞬若返らせる魔力があるし、教育問題懇談にかこつけて昨今の巷の弊風を嘆じて声高めれば、身の内に籠り胸塞がらせる雑念も吹き払われて身も心も軽くなる。この効用のあらばこそ年末には師も、いやそうでない者も、同憂の士を求めて走り回るのだ。

年の瀬30日には餅つきに誘われている。秋にギリシア悲劇『メデイア』を上演した劇団「清流劇場」の毎年恒例の行事である。メデイアが舞台上でむしゃむしゃ食べたのはホットケーキだったが、いやそれはそれとして、この年忘れ餅つき大会には万障繰り合わせても参加せねばなるまい。
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2019年01月01日

[vol.38]長府そして萩まで

秋に小さなツアーに便乗して旅をした。年が明けたからもう昨年のことになる。昨年秋の劇団清流劇場公演『メデイア』(10/17〜21、一心寺シアター倶楽)に関わって濃縮した5日間を過ごしたその骨休めである。

某日夕刻大阪の泉大津で船に乗り(阪九フェリー)、ツアー所定の船の夕食を食べながら瀬戸内海を西航。翌日目を覚ますと新門司港である。上陸後はバスで目と鼻の先の下関に渡り、唐戸市場を冷やかす。あとは道なりに山陰の海岸に出て長府まで。

好天である。沿道の家々には熟れた柿の実が葉を落とした木にびっしり。飢えていた昔を思い出すと今にも跳び付きたいところだが、一向に減っていないのをみると今どきの子供たちは見向きもしないのか。陽が西に傾く頃、宿の「大谷山荘」に入る。

翌日は萩へ。松陰神社や城下町の風情を楽しむ。どことも家々の生け垣の中で夏ミカンが実を着けている。その静かで落ち着いたたたずまいは、維新で暴れた長州藩士の本拠地とは到底思えぬほどである。藩主の屋敷も――昨日見た長府の支藩のそれはまことに小ぶりで質素であった。

さて、「大谷山荘」のことも言っておかねばなるまい。ここはアベさんがロシアのプーチンさんの接待に使った宿として有名になったが、山陰海岸から少し山中に入った音信川のほとりにある近代的なホテルである。部屋もモダンな造りで、都心のホテルと変わるところがない。なにより嬉しいのは南窓の一角に露天風呂形式の湯殿があり、山峡を一望しながら湯を楽しむことができることだ。夕食もプーチン効果で一躍全国に名が知れ渡った銘酒「獺祭」をお伴に、山海の珍味をじゅうぶんに楽しむ趣向。

言い忘れたが先夜の船中泊も決して悪くはなかった。知人にクルーズ愛好家がいる。夏の終わりに香港まで行って来たらしく、洋上の豪華客船では「寝ていてもエンジン音も振動もぜんぜん無し、静寂極まる」とのたもうていたが、なに、瀬戸内海は波静か、船もそれなりの大きさがあるゆえに、毫も気遣う要なし。たまに聞こえる波音も、祇園の宿の枕の下ゆく白川の瀬音と思えば、いっそ粋というもの。朝食が焼いた塩サバに味噌汁というのも嬉しい。

山陰海岸の青海島を真向かいに臨む仙崎の町は童謡詩人金子みすずの故郷という。一篇上掲し、敬意を表したい。
鯨法会
鯨法会は春のくれ      おきでくじらの子がひとり
海にとびうおとれるころ   その鳴るかねをききながら
はまのお寺で鳴るかねが   死んだ父さま、母さまを
ゆれて水面をわたるとき   こいし、こいしとないてます
村のりょうしがはおり着て  海のおもてを、かねの音は
はまのお寺へいそぐとき   海のどこまで、ひびくやら

バスは萩から広島まで走る。
駅ビルのスペイン・バルでワインを飲み、新幹線で帰途につく。
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