2020年03月15日

[vol.62]観梅行

「しだれ梅を観に行こう」と誘われて名古屋まで行ってきた。深江から高速に乗り、京都南から新名神を走る。鈴鹿の山並みに先日降った雪が白く残っている。あっというまに右手には伊勢湾の青い海原。

まずは熱田神宮に参拝する。初めてだったが想像以上に深い森であることに驚く。御神籤は吉と出る。昼食を予定していた鰻の「蓬莱」は休店で、仕方なく中心街の「いば昇」へまわり、櫃マムシを堪能。

あと徳川美術館で大名雛を参観。細川家から輿入れした福姫持参の豪華絢爛たる雛の数々はまこと筆舌に尽くしがたく、御三家の威光ここに極まるとの感深くする。

正式な名称は何というのか、名古屋市の農業施設へ行く。それが今回の小旅行の主目的なのだが、そこの梅林でしだれ梅を観る。暖冬のせいかほぼ満開に近い。紅白交りあってたっぷりと植え込まれている。ただ香はない―−咲き初めのころは豊かに匂ったというが。

群生したしだれ梅を観たのは初めてである。女児の髪のように樹の天辺から幾筋も枝が垂れ下がり、それに花、蕾がいっぱいに付いている。一定の間隔を置いて植わっているのだが、枝は枝どうし、花は花どうし隣のそれと触れあって擦れんばかり。遠望すれば全花重なり合って、一面梅花のカーテンさながらである。帰途立ち寄った「なばなの里」の梅林も同様だった。

観梅行に誘ってくれたのは行きつけの寿司処「真砂」の大将と女将さんである。二人は月に一度の休みの日に車で遠出する。東は名古屋、下呂温泉、西は広島、萩、山口、南は四国、紀南、北は山陰、鳥取、福井永平寺と縦横無尽。これを日帰りで行ってくる。車好きの大将だ。

小生と愚妻はこれに時折誘われて、季節の景色と地元の食事を楽しむ。こちらはワゴン車の後部座席にゆったりと座り込んでカーステレオを聴きビールを飲みながら運ばれていくだけだから、これほど贅沢な小旅行はない。ありがたいことである。

昨今巷は悪疫流行で騒がしい。観梅行のころは世の中はまだ落ち着いていた――ようだった。それが一挙に騒がしくなった。関係している小劇団の3月公演(G.ハウプトマン『織工たち』、清流劇場)もとうとう中止に追い込まれた。シュレジエン方言に悩まされながら苦労して仕上げた脚本だっただけに残念ではある。他にも病原菌ウイルスに攻め立てられて人が集まる会合はほぼ延期か中止になった。

こうなれば厄払いだ。近日中に朋友相集い、たらふく飲みたらふく食って悪疫を退治し追い払おう。
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2019年12月15日

[vol.61]金沢まで

日本グリルパルツァ―協会の研究発表会は、ここのところ京都と金沢とを隔年で交代しながら開催されている。京都は京都府立大学の独文科、金沢は金沢大学の独文科に諸事万端お世話になっている。今年は金沢が当番だった。

会場は市の中心部にある金沢大学のサテライト・プラザ。今年は発表者の顔ぶれも多彩で、若手の女流研究者2名、富山大の中堅、また東京から参加の女流のヴェテラン、計4名を数えた。伝統ある研究会で会員の高齢化が危惧されていたが、この若返りは驚きでもあり、また喜ばしい現象でもある。内容もグリルパルツァ―の作品のみに限定されず、シュティフタ―をボヘミアの森という背景の中で取り上げた発表もあった。

特筆すべきは戯曲『夢は人生』の本邦初訳(2019年、水声社)が訳者城田千鶴子氏によって披露されたことだろう。グリルパルツァーを論議する場でしばしば取り上げられる作品でありながら、なぜかこれまでは日本語で読むことは叶わなかった。それが可能となった。城田氏の尽力を多とし、感謝したい。

城田氏は巻末で、本篇の先行作品としてカルデロンの『人生は夢』、ヴォルテールの『白と黒』などを挙げておられるが、ウイーン文化に対する南方のイタリアやイベリア半島の文化の影響を考慮すれば、カルデロンを今少し詳しく取り上げては如何かと私見する。

発表会のあとは恒例の飲み会。駅近くまで(かなりある)歩いて居酒屋「かじ亭」へ上り、総勢20名ほど海の幸と地酒を堪能し、歓談する。
一昨年は地酒「獅子吼」などを酌んで談論風発の一刻を過ごしたが、今年も2次会、3次会と宴は続いた。

大阪を覚悟して出たものの、金沢は意外と寒くなく、その分いささか風情に欠ける思いがする。しかし人出は相変わらず多く、ホテルの朝食の席でも聞こえてくるのは坂東訛りばかりというありさま。老母への土産に末広堂の「きんつば」、妻へは「手取川」一本を提げて早々に車中の人となる。
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2019年12月01日

[vol.60]イプセン『野がも』を観る

イプセンの『野がも』を観た。清流劇場の11月公演。シナリオは毛利三彌の翻訳を使い、演出は田中孝弥。劇場は大阪天王寺の一心寺シアター倶楽。
これが書かれたのは1884年11月である。翌1885年1月にベルゲンで初演された。作者56歳。晩年の作といっていい。ちなみに『人形の家』(1879年)の6年後であった。
製材工場を営む富豪ヴェルレの息子グレーゲルスが山の上の仕事場から久しぶりに戻ってくる。それを祝うパーティーから劇が始まる。登場人物は互いに錯綜している。ヴェルレとそのかつての友人で、今は落ちぶれてヴェルレの好意で何とか生きている老人エクダル。エクダルの息子でグレーゲルスの友人でもある写真屋のヤルマール。その妻ギーナ(彼女はかつてヴェルレ家で女中奉公をしていた)。その娘、14歳の少女ヘドヴィク。
ヴェルレとエクダルは国有林の伐採をめぐる事件後、成功者と没落者とに分かれ、エクダルの息子ヤルマールはヴェルレから経済的援助を受けて写真という新技術を習得し、新生活を始めている。しかし妻のギーナはヴェルレの愛人だった過去があり、娘ヘドヴィクもヴェルレの種らしき兆候がある。ヤルマールはそれに気づいていない。
山から下りてきたグレーゲルスは濁世ともいうべきそうした下界の市井の巷で一人得々と「理想」を標榜し、誰彼なしに説いてまわる。ギーナの秘密をヤルマールに漏らし、それを深い心で受け止め許してこそ理想の結婚生活、理想の夫たり得るとする、ヤルマールの苦悩はいっさい頓着せずに。この独りよがりを冷ややかに見る飲んだくれの医師レリングは「生きるためには嘘が必要だ」という。
19世紀末、ようやく市民社会が根付き始め、市民に自立の意識が生まれ始めた時代の市井の人間界、いわば濁世に生きる庶民の生態が悲喜劇的に展開する。しかしヤルマールのような悲劇的状況に落ち込んだ人間が、その状況を全身で受け止めて意識的に追及することはない。彼は自ら意識して悲劇を演じることはない。妻の秘密を知った後もそのまま中途半端に生き続ける。そう見える。
グレーゲルスは「理想」を旗印にして最後まで喜劇を演じ続ける。真面目に演じれば演じるほどますます喜劇的になる喜劇を。
この世は悲劇である、と一方的に見切ることはできないし、喜劇でもあるとしてしまうこともできない。人間の生活を、人間社会を、包括的に描けばそうなる。
中途半端なヤルマールは、その中途半端さのゆえに近代現代社会の主人公たり得る。「人間、生きるには嘘が必要だ」というレリングの達観したような総括は正直一途の「病人」グレーゲルスの処方箋となり得るものだが、ときには泣き崩れたくなるヤルマールにとっても格好の特効薬になるだろう。それは悲喜劇が錯綜する今の世を生きるわたしたちにとってもそうである。
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