2018年09月01日

[vol.30]貴船詣で

酷暑のなか、誘われて貴船まで行って来た。目的は涼しい川床で夏の料理を楽しもうということである。道中は運転手付きの涼しい車内、好きな時に缶ビールで喉を潤すというのだから、贅沢ここに極まる。

京都に入ってまずは東山の将軍塚(青蓮院門跡)へ上り、塚のほとりの東郷元帥手植えの松を見、展望台から遥か下方の御所、鴨川堤、吉田山、黒谷の緑を遠望する。市街は暑熱の温気にぼおっと霞んでいる。

山を降りて八坂神社横の「ゆずや」で昼食。岡崎へまわり、国立近代美術館で「横山大観展」を見る。以前に見た山陰の足立美術館所蔵のもののほうが良かったような気がするが、どうだろうか。

炎熱の市街地――東山通りには着物(浴衣)姿の外国人観光客多し。暑いのにご苦労様――を北上し、上賀茂神社の脇から貴船へ入る。

貴船は初めてではない。京都在住の頃は専ら叡電を使い、出町柳から宝ヶ池を経て貴船、鞍馬へ入った。新緑や紅葉の頃が多かった。鞍馬から木の根道を通って、山越えで貴船に降りたこともある。その頃は、車や観光バスなどを使って来る者は乱暴者、不粋者と軽蔑したものだった。貴船駅で電車を降りて、あとは歩くのが作法(のつもり)だった。

貴船に着く。車に付いている寒暖計によると市街地と5℃も違う。貴船神社本宮から奥宮まで詣でたあと、料亭「ひろや」へ上がる。いや、正確に言うと下がる。川床に降りるのだ。5時という早い時刻のせいか、客の姿はちらほら。それが次第に増えてくる。舞妓姿が二人見える。祇園くんだりから、まあ、ようお越し。

料理が運ばれてくる。かくべつ珍しいものはない。季節らしくハモの湯引きが申し訳程度。いかにも山中らしくどす黒くなったマグロの赤身に興ざめする。そして鮎の塩焼き。これはよし。合せる酒は、その名も「源義経」(キンシ正宗酒造)で、これは場所柄にピタリ。

床下を流れる水音。ときおり聞こえるのは河鹿の鳴き声か。見上げる空には川幅いっぱいに対岸の樹木が枝葉を張り出し、夕映えを閉ざす。もうすぐ宵闇が濃くなれば、この辺りまで鞍馬の天狗一族が出張ってくるにちがいない。その薫陶を受けた牛若丸は、やがて源家の若大将義経として西海の戦場へ赴いたのだった。
牛若袂に縋り給へばげに名残あり
西海四海の合戦と云ふとも
影身を離れず弓矢の力を添へ守るべし
頼めや頼めと夕影暗き 頼めや頼めと
夕影鞍馬の 梢に翔って 失せにけり
(謡曲「鞍馬天狗」)

滞留3時間。8時に腰を上げ、瀬音をあとに南下する。

昔、学恩を受けた諸先生は夏になると京都の町の炎暑を避けて遠く信州まで仕事の場を移しておられたが、いや、近郊にかように涼しい奥座敷があろうとは!洛外にかほどの別天地をもつ都びとの、なんとも羨ましきことよ。
ただ――観光地化、俗化の傾向はとみに進んでいる、この貴船も、残念ながら。
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2018年08月15日

[vol.29]捜す

必要があってものを捜しはじめるが、たいてい見つからない。本の場合もそうである。「あ、あれは持っている、捜せば出てくる」と思って捜しはじめるが、なかなか出てこない。どこかにもぐり込んだとみえる。

わが茅屋は小さい。わが居室は狭い。そこに所有する本の全てを放り込んでいる。壁際の本棚だけでなく机上、机下にも積み上げている。といって筆者は蔵書家ではない。ないが、本というものはいつの間にか溜まってくるものだ。稀覯本の類はない。おおむね必要に迫られて求めたごくふつうの市販本である。それでもぜひ読みたいと思うものがあって書架のあるべきところに当たってみると、ない。どこかに仕舞い忘れたのだ。捜索をはじめる。机の下までひっくり返すが、みつからない。

種村季弘という男がいた。ドイツ文学者だったが、それに加えて一種独特の評論活動によって広く世に知られた。一種独特というのは、取り上げる題材が主としてドイツ文化圏の綺譚――魔術師、詐欺師、山師、錬金術師、怪物、吸血鬼、奇人などにまつわるいかがわしくも魅力的な話であるからだ。

その種村の編集による「日影丈吉選集」(河出書房新社、1994〜1995年)が5巻本で出ている。種村と日影、一見妙な取り合わせにみえる。日影は戦前のアテネ・フランセでフランス語、ギリシア語、ラテン語を学び、フランスに渡って料理修行もしたらしく、帰朝後に料理界で名を売った人。作家としては端正なモダニズムの作家という印象があるが――ジョルジュ・シムノンのメグレものの翻訳もある――、作品は土俗的な民話を主題としたものがけっこう多い。このあたり種村と通底するものがあるのかもしれない。その5巻本の第4巻が、どこに紛れ込んだのかみつからないのだ。それで困っている。

日影丈吉をいったいいつごろから読むようになったのか。初出の発表誌が「宝石」、「推理ストーリー」、「オール読物」などだから、これまであまり馴染みがなかった。また種村の好む民話や土俗的な素材にも、さほど関心があるわけでもなかった。ただ中に戦前の台湾を舞台にした作品がいくつかある。おそらく作者日影が軍隊時代に駐留していた植民地台湾での生活体験によるものだろう。これがおもしろい。

植民地文学というジャンルを立てるとなると大げさであるし、日本文学の中にはたしてその名に値するような作品群があるかどうか疑問でもあるが、日影が台湾を舞台に描いた作品には植民地台湾における現地人と日本人、と言ってもこの場合は日本軍の兵士たちだが、その両者の交流の様子がてらいなく淡々と描き出されている。

台湾は日清戦争以降50年間日本の支配下にあった。そしてその支配が比較的良好に推移した地域だった。太平洋戦争の末期になっても政治的軍事的情勢はさほど切迫したものではなかったようだ。『騒ぐ屍体』や『ねずみ』などを読むと、そうした中での現地人と駐留日本軍兵士とが織りなす人間模様が細やかに写し出されている。時に土俗性というフィルターが掛けられたりするが、根本のところは人間生活一般に共通する情念の迸りである。それはいまでも、またどこにでもあることだ。

自分たちとは違う異邦人の生活、異なる習俗にどう向き合うか、それを短期滞在者の手になる単なる報告に終わらせず、異邦の地に暮らす者の生活感が漂いはじめているかのように思わせる点が、悪くない。いや、しょせんは支配者の側の視点からの報告書に過ぎぬというなら、それはそれでよし、それでもこれは良質の報告書だろう。

地域の夏祭り見物の帰途、焼き鳥屋に寄る。焼酎の水割りを飲み、ネギマなどをつまむ。
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2018年08月01日

[vol.28]カルメン尋ねて

「母を尋ねて三千里」というのが昔あったが、カルメン尋ねては、三千里も行くことはない。すぐ近くの神戸、三宮だ。30分少々もあればじゅうぶん行き着ける。この場合、断っておくが、カルメンというのは人名ではない。スペイン南部の情熱的なジプシー女を思い浮かべられると、ちと困る。カルメンは場所の名前、もっと正確に言うと、スペイン料理店の名前である。
5月にあったさる会合で、50年ほど前に知り合った男Kがいま偉くなって医院を開き、月に一度趣味で(だろうと思う)スペイン料理店「カルメン」でフラメンコギターを弾いている、という話を聞いた。その店が三宮にあるというのである。それを捜しに出かけて行った。
知人にスペインに詳しい男がいる。スペイン演劇研究家T氏だ。今年の春もスペイン現代劇の公演を観るためにひと月近くマドリードに滞在していた。彼に訊くと「カルメン?知ってますよ」と言う。昔からの馴染みの店だと。彼に案内されて行く。あった。生田神社の東南、線路際を北へ少し入ったところに「カルメン」はあった。
昔の純喫茶店風の小暗い室内。そんなに広くはない。毎週土曜日にフラメンコダンスの実演があり、古い知人Kはその伴奏に出て来るのだという。
片隅のテーブルに座を占めて、まずはマドリード産のセルべサ(ビール)「マオウ」で乾杯する。イケる。店推薦の卵料理フラメンカエッグ、タコのアヒージョ、イカの墨煮などをつつく。一緒に付いて来た家人はパエリャを注文する。ビールの後はやはりワインとなり、よく冷えた白(ラベルはMaroues de Riscalと読める)、常温の赤(San Martinと読める)、それぞれ一本ずつを3人できれいに空ける。
思い出した。以前この3人はマドリードのホテルのバルでビール(銘柄はサンミゲルだったと思う)を飲んだことがあった。筆者と家人はツアーに乗って当時マドリードにいた。夏だった。知人は仕事でバラハス空港へ着いたばかりだった。マドリード市内の宿に荷物を置いて、われらのホテルまで駆けつけてくれた。われらは翌日から南のコルドバへ下る予定だったから、知人と飲めるのはその時しかなかったのだ。ふだんは大阪の枚方あたりでよく飲んでいたが、せっかくマドリードで会う機会があるんだからマドリードで飲もうということなのだった。
筆者もかつてマドリードの街をすこし歩いたことがある。グランビア東端の南にあった言語文化研究所に顔を出していたときは、昼になると近くの「どん底」(新宿「どん底」のマドリード支店?)へ行って、タコ酢にビールで慣れぬ地での生活の苦労を慰めた。古代ギリシア哲学のS先生夫妻が外遊途中に寄られたときは、奥方のためにそこで日本料理を供したこともある。
しかしマドリードの下町の食事、料理への通暁という点では上記の演劇研究家T氏に敵う者はいない――と言ってよいだろう。まずはマドリードの街そのものへの沈潜度、そして飲食への飽くなき探求心、旨く安くをモットーとするその姿勢、一度卓につけば見事なまでの酒豪、健啖家ぶり、そして同席者を飽かせぬ豊かな話題。まさに言うことの無い美食の狩人であり、美食の報告者である。願わくは、飲食の神よ、近いうちに彼とともにマドリードの下町を歩き回り、B級グルメに舌鼓を打つことができますように。
言い忘れたが、先のフラメンコギターを弾く医師Kは50年ほど前に初級ドイツ語の手ほどきをした男である。しかし彼はそのことも、ドイツ語そのものも、もう忘れてしまっているだろう。
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