2018年06月01日

[vol.24]オペラ『カルメン』を観る

(NPO)ヴォイス・アーツ主催のオペラ公演、ビゼー『カルメン』を観た(4月30日、芦屋ルナ・ホール)。出演は関西を中心に活躍している歌手たち。昼夜2回公演で、カルメン役は森池日佐子と糀谷栄理子、ドン・ホセ役は小餅谷哲男と谷浩一郎というキャスト。指揮は井村誠貴、演出は田中孝弥で、田中氏からチケットを頂戴して駆けつけたという次第。

本邦で上演されるオペラ作品は数多いが、その中でも『カルメン』はとくに有名で歌われる曲も人口に膾炙しているものが多く、誰にも馴染み深い。原作はプロスペル・メリメ。
カルメンはセヴィリアの煙草工場で働く女工。ジプシー出身である。ドン・ホセは煙草工場の衛兵。彼は故郷に幼馴染の許嫁がおりながら、カルメンの魅力に惹かれていく。情熱的なカルメンはその奔放な振る舞いで、ホセだけでなく周囲の男たちを魅了していく。その中に闘牛士のエスカミーリョもいる。カルメンに翻弄されエスカミーリョへの嫉妬に苦しむホセは、最後にカルメンを刺し殺す。恋という情念が理性を乗り越える。
「彼(メリメ)の描いた主題は原始的な宿命的なpassionとénergieである」(杉捷夫)。カルメンしかり、ホセしかり、そしてマテオ・ファルコネ(仲間の掟を破った幼い我が息子を撃ち殺すコルシカ男)またしかり。

筆者が観たのは夜の部で、カルメンは糀谷栄理子、ホセは谷浩一郎。熱唱だったが、歌の末尾がはっきり聞き取れない個所があったのがやや残念(この点は他の歌手の場合も同様)。セリフの部分と歌の部分とが違和感なく繋がっていたのは、演出(田中)の努力の賜物か。ただセリフの部分はいま少し詩的に歌ってもよかったのではないか(これには日本語の訳文も大いに関係する)。糀谷、それに好演の上村(ミカエラ)の歌の高音の部がやや苦しげなのも気になった。

むかしハノーファーでモーツァルトの『魔笛』を観たことがある。シーズン始め(10月)で出演者も名人級が出ず、出来ばえもじゅうぶんなものではなかったが、それでも楽しめた。中休みになると観客は席を立ち、劇場内の一室で簡単な飲み物などをとる。そこに華やかな衣装に身を包んだ少女たちが両親に連れられて姿を見せ、談笑に加わる。社交界へのデビュウである。19世紀の西欧小説の世界が眼前に再現されたようで、これぞ古き良き慣わしかと嘆賞した。

オペラが日本社会へ取り入れられてすでに久しいが、それを取り巻く環境はいまだ厳しくまた淋しいものがある。つまりわれわれの社会に、日常生活の中に、それはまだじゅうぶん浸み込んでいるとは言えないのだ。ハノーファーの歌劇場で見かけたあの少女たちは、オペラという総合表現芸術が彼らの世界に、その日常の社会生活にきっちり根付いていることを示す一つの証左である。
オペラに限らずすべて藝術は受容し理解するだけでなく、生活の中で楽しむものでなければならない。オペラに則して言えば、日本社会でのそれは歌舞伎であるといえるかもしれない。ただし少し前までの。いま大阪・松竹座の新春公演に出掛けても単に「観て直ぐ帰る」方式で味気なく、つまらない。妙齢の振袖の手弱女たちはどこへ行ったのか。
いや、ルナ・ホールでも社交界にデビュウしそうな華やかに着飾った乙女たちの姿は、どうも見かけなかったように思う。
 
それはともかくルナ・ホールは、関係者を総動員したか、収容数700の全席満員、大盛況であった。推して知るべし、関西のオペラ界健在なりと。
終演後に知人二人と立ち寄ったのは、阪神打出のイタリア食堂「イル・サッチアーレ」。イカ墨パスタ、ピッツァ、イタリアビールとワインでカルメンを偲び、あわせてホセに惻隠の情を寄す。
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2018年05月15日

[vol.23]明暗々

話は冒頭から医院での医者の診察で始まる。
醫者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。
「矢張穴が腸迄續いてゐるんでした……〈略〉……」
(漱石『明暗』)

主人公は津田。帝大を出て会社勤めをしている。三十歳。最近結婚してお延という妻がいる。同じ東京市内に嫁入りした妹お秀がいる。両親は京都に住んでいる。
以下、津田の手術(痔疾か?)、手術後の湯治行(湯河原温泉か?)、湯治宿での清子との再会、というふうに話は進展していく。その途中で妹のお秀、叔父の藤井、吉川夫人、岡本、あるいは下層社会の窓口役ともいうべき小林らが絡む。

大雑把にいえば、作品内容は3点に要約できる。(1)経済(金銭)問題、(2)学歴の有無から生じる社会的階層の問題、(3)女性論、である。いずれも漱石のこれまでの作品では触れられなかったものと言ってよい。
経済問題といっても、津田のみみっちい金銭への執着の範囲にとどまり、国家社会の経済の動向の域まで広がるものではない。
学歴の有無だけではないが、すでに当時の社会の中に存在していた社会の階層化の問題は、小林を登場させることによって作者もそれを問題視していたらしいことが示される。ただしそれ以上にはこのテーマは進展しない。書かれる筈の続篇に期待しなければならない。

女性論については、「発言する女」としてお延とお秀が登場するが、双方ともその論旨は残念ながら明確ではない。例えば職業婦人のような自立する「新しい女」を期待することは、まだできない。
湯治宿での清子との再会は、いずれ不倫という問題も出来するかもしれず、そうすればその過程で津田は新しい人物像に変貌する可能性がある。
清子vs.お延、お秀という関係性の中で新女性論誕生の可能性もある。
小林は植民地朝鮮からの帰国後、新しく知性と人間的な深みを保持する人物に変身し、津田を越える魅力的な存在となるかもしれない。

しかしすべては続篇を待たねばならない。いまある作品『明暗』は、こうした些か勝手な夢想を許すだけのものにとどまっている。ご参考までに、この未完の作品の最後の部分を引いておこう。
津田は漸く立ち上つた。
「奥さん」と云はうとして、云ひ損なつた彼はつい「清子さん」と呼び掛けた。
「貴女は何時頃迄お出です」
「豫定なんか丸でないのよ。宅から電報が來れば、今日にでも歸らなくつちやならないわ」
津田は驚ろいた。
「そんなものが來るんですか」
「そりや何とも云へないわ」
清子は斯う云つて微笑した。津田は其微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に歸つた。
(未完)

本篇の執筆時期はすでに日露戦争から十年以上経った第一次世界大戦の最中である。
日本の近代化も進んだ。明治期の「高等遊民」には程遠く、さりとて実社会での立身出世という野望も持たず(そう見える)、サラリーマン二世として日常経済の中であくせくする津田は、まだ闊達な市民には成りえていない。作品も社会性をじゅうぶんに描き込んだ市民小説には成りえていない、その萌芽はあるけれども。われらが木曜会のK先輩は、「この作品は嫌だ」とおっしゃる。「まとまりがない」とも。漱石は晩年になってやっと新聞という媒体を自在に使える市民小説家としての姿に目覚めたと――まだ不十分ながら――愚生は評価する。続篇が夢想どおりに書かれて完成すれば面白い市民小説になったであろうと。

桜はその盛りを過ぎ、世は新緑を待っている。今宵の晩酌のアテは、頂戴ものの新筍の木ノ芽和えと明石に上がった桜鯛の薄造り。酒は「仙介」(泉酒造)の冷や。
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2018年05月01日

[vol.22]春は馬車に乗って

今年の桜は早かった。西日本では3月末から4月初めにかけて各地満開となった。
近所の家の庭にある一本がこの世の春とばかりに咲き誇り、歩道を行き交う人に惜しげもなく豪奢な花のシャンデリアを翳し、風でもあれば頭に肩に花弁を注ぎかける。
子供のころに感じた季節の変わり目のめりはりが、昨今では少し欠けてきたように思われる。国中が貧乏していて何もない時代の冬は寒かった。木枯らしが雨戸をガタガタと揺らし、通学路の水たまりには氷が張った。子供らは校舎の南側の壁に張り付いて日向ぼっこをした。春はなかなか来なかった。
いまから92年前、横光利一は短篇『春は馬車に乗って』を書いた。若い作家(と思しき主人公)が海辺の家で胸を病んだ妻の看病にひと冬を過ごす。その記録である。
庭の芝生が冬の潮風に枯れて来た。硝子戸は終日辻馬車の扉のようにがたがたと慄えていた。
(昭和文学全集5、小学館)

彼は執筆の合い間に妻の看病をし、またその合い間に妻に食べさせるため鳥屋に臓物を買いに出かける。また医者の許へ薬を貰いに行く。
「あなた、泣いていたのね。」と妻は云った。
「いや。」
「そうよ。」
「泣く理由がないじゃないか。」
「もう分っていてよ。お医者さんが何か云ったのね。」
〈略〉
その日から、彼は彼女の云うままに機械のように動き出した。
そうして、彼は、それが彼女に与える最後の餞別だと思っていた。
(同上)

死を間近に控えた妻は我儘を言って彼を困らせる。その間も、しかし病勢は進む。厳しい冬の後には春が来るはずだが、妻の体は次第に衰える。
その頃知人から二人の許へ春を告げるスイトピーの花が届けられる。
「これは実に綺麗じゃないか。」
「どこから来たの。」
「此の花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。」
妻は彼から花束を受けると両手で胸いっぱいに抱きしめた。そうして、彼女は
その明るい花束の中へ蒼ざめた顔を埋めると、恍惚として眼を閉じた。
(同上)

春の贈り物スイトピーの花束が馬車の荷台に乗せられ、向こうの岬を廻ってやって来る。妻はその「春」を胸に抱く。迫り来る死の闇のなかに一瞬またたく灯火を慈しむように、春と同化するように。

むかしは春はこのようにしてやって来た。いや、横光はこのように春を受け止めて書いた。作中の二人は、一見中年の夫婦のように思われるが、しかし横光がこれを書いたのは28歳のとき(1926年)だった。妻に掛ける夫の言葉が教条的でこなれていないのが難といえば難であるが、妻の姿には死の直前の、死を直視する人間の姿が過不足なく描き出されている。
岬を廻って来たスイトピーとそれに顔を埋める妻、この一篇はそこに尽きる。そしてそこで閉じられる。

春は馬車に乗ってやって来る。なんと美しく、すがすがしく、哀しいことか。
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