2019年04月01日

[vol.44]「ここちよ」へ

行ってきた。淡路島の北東部に東浦というところがある。神戸の三宮から高速バスで明石大橋を渡って少し走ったところである。小一時間あれば行ける。
何をしに行ったのか。そこにある「ここちよ」という食事処で春の季節料理を楽しもうと思ったのだ。

わが住むところ神戸では春は瀬戸内の海からやって来る。六甲山麓も二月に入ると梅が咲き始め、桜がそのあとを追いかけ、花が散ると新緑が山肌一面を覆う。が、それと同時に潮の流れが柔らかい陽光にきらめき、春の海の恵みを運んでくる。
春の海の使者の一番手はイカナゴである。時節になると神戸の主婦たちは明石の浦の魚棚へ通ってこれを手に入れ、「くぎ煮」と称する佃煮をつくり、親戚をはじめ友人知人に配送する――そういう古くからの決まりごと、習慣がある。春日に香ばしい匂いが神戸の街中に広がる。そして配送の恵みを受けた者らはこれをご飯の供にし、晩酌のアテにする。

「ここちよ」――これは“ここちよい”からきたものらしい――の春のメニューは穴子である(もちろん鯛もある。瀬戸内では魚島時の鯛はことさら珍重される。岡山生まれの内田百閧フしばしば書くところである)。初夏6月から11月一杯は鱧料理、11月末から2月は河豚料理、その端境期の春は穴子や鯛の料理というわけだ。
今回いただいたのは穴子のしゃぶしゃぶ鍋と穴子重。鍋には淡路名産の玉ねぎ、春の野草セリも入る。酒は地元淡路の千年一酒造の「杯千酒」を常温で。他に地ビール。春3月ながら河豚のヒレ酒も注文する。

明石大橋から島を縦断する高速道は高い山中を走る。東浦のバス停から山腹を少し降りたところに「ここちよ」がある。周りは田圃である。古い農家風の一般住宅を改装したもので、こじんまりしている。目の下遥かに海。店主は知人のスペイン演劇研究者の昔の弟子である。若い時にスペイン語を修めてから和食料理人に転じたという変わり種。

神戸の街から遠くはない。午後遅くに出掛けて夕食を楽しんだ後、ゆっくり帰って来られる。わたしたちは帰途高速東浦から高速舞子までバス、舞子の停留所が山陽電車の舞子駅に直結しているから、あとは三宮、魚崎と一本の電車で帰って来た(ご承知のとおり山陽電車と阪神とは相互乗り入れをしているから、三宮で乗り換える必要がない)。

住まいの近所の居酒屋に歩いて行くのも、もちろん悪くない。しかし書斎での仕事を早めに切り上げて、バスでちょっと淡路まで春の味を訪ねて行くのも、これまたよし。都会の仕事場から田舎の別荘へ居を移し、暫時滞在して巡り来る春の情趣と旬の食事に堪能する――これぞ昔男の夢の疑似体験ならん。
初夏の鱧料理が今から楽しみである。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む

2019年03月15日

[vol.43]辻原登を読む

いま辻原登の短篇集『不意撃ち』(河出書房新社)を読んでいる。辻原作品とはこれが初見参だ。

仲間三人と「木曜会」という読書会をしている。漱石の作品を読む会である。だからというわけで漱石山房の「木曜会」をわが集会も僭称している。以前にも書いた(かもしれない)が、会員は現在のところたった三名。会長は魯迅研究者にして作家たる仁――老いてなおその精力は衰えず、最近も『孔子と魯迅』(筑摩選書)なる著作を上梓した――そして漱石好きである。その指導よろしきを得ながら、漱石の作品をひとわたり読み進めてきた。そのちょっとした休憩時間に別の何かを読もうと捜し廻った結果、辻原の最新作品と相成った。ちなみに辻原は上記の魯迅研究者兼作家氏の古い知人である。少年辻原に漢文の手ほどきをしたことがあるという。

その辻原の最新作品集『不意撃ち』を携えて京都まで行って来た。東山五条を清水の方へ上がりかけたところに、「坂のホテル京都」がある。出来て1年ほどの新しいホテルだが、淡路島の有名ホテル「ホテル・ニュー淡路」の姉妹ホテルであるせいか、魚介類の料理が京都にしては新鮮で美味い。われらは合計11名という人数だったし、祝い膳(男性一人が喜寿、女性一人が某句会で県知事賞受賞)も兼ねていたので、敷地内の別棟に宴席を設けてもらった。これが良かった。食後、木屋町五条まで二次会に繰り出したのはいつものとおり。

翌日も好天。ホテルからブラブラ歩いて建仁寺に詣で、俵屋宗達の「風神雷神図」、法堂の天井画小泉淳作「双龍図」などを見る。そのあと京阪電車で四条から丸太町まで行き、河原町丸太町のつけ麺処「MARUTA」で昼食。愚息の友人が脱サラして始めた店である。高校大学とラグビーをやっていた男だからか、全日本級の選手もよく立ち寄るようで、店の壁にはジャージなどの記念品がさりげなく掛っている。

持ち出しては来たものの、『不意撃ち』の読書は進まない。五篇の短篇を収録した一冊だが、初出はいずれも「文藝」、「新潮」、「すばる」など名の通った文芸誌に掲載されたものである。といって肩ひじ張った深刻な文学作品、ではない。『いかなる因果にて』は手軽な小旅行の記録に過ぎない。『渡鹿野』は巷に蠢く庶民の生活報告、それもまとまりに欠ける中間小説としかいいようのない一篇。ただ前者では同級生の中学時代をめぐる回顧譚の中に南紀新宮あたりの名所とか音楽評論家吉田秀和の墓とかを埋め込み、後者ではデリヘル稼業従事者のあざとい日常生活の中に「梅川」なる言葉を書き込むことによって近松の『冥途の飛脚』の遊女梅川や40年ほど以前に起きた大阪の三菱銀行北畠支店銃撃事件の犯人梅川昭美を想起させるという仕掛けを施す。それによって、これは単なる読み物以上の文学的あるいは社会派的視点をも有するものと装ってはいる。が、そこに人の世を透視するような深みは、残念ながら無い。

辻原は芥川賞をはじめ著名な文学賞を軒並み受賞している人気作家だが、賞は決して重荷にならない、いや無駄ではない――といえるだろう。性風俗業界に取材した中間小説でも、旅日記に私的回顧譚を織り交ぜたルポでも、名だたる文芸誌が三顧の礼をもって迎えてくれるのだから。夏目漱石が真の国民作家となるために求められるのはこの手の観察眼と取材力だった、といえるかもしれない。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む

2019年03月01日

[vol.42]再会

N嬢が帰って来た。前に一度触れたが、昔のゼミの学生で今は台湾の大学(東呉大学)の院生。そして現地の日本語学校の講師をしながら日本語教育の専門家になろうとしている。時まさに春節、2月5日が旧正月の元日に当たるから、いわば正月休みを利用しての帰省ということになる。

金沢で家族に無事な姿を見せた後、わざわざ神戸まで来てくれた。住吉の鮨処「真砂」で平目の薄造りを皮切りに、瀬戸内の新春のネタをつまみながら「白鶴」の徳利を傾けて久闊を叙す。「こんなもの、どうですか」と店主が気を利かして出してくれたのが手長章魚の煮つけ。小ぶりで柔らかく、味がよく染みていて美味。ふつつかながらわが食人生で初見参だった。

翌日早くに東上する予定があるので控えますと言いながら、それでも注された盃は軽快に干す。相変わらずの酒豪である。昨夏も愚妻と二人で大いに飲んで暑気を吹き飛ばしたものだった。

彼女、6月には修士課程を修了する。「あと、どうするの?」しばらく台北に残って「どこか就職先を探すつもり」だと言う。日本に帰って「嫁入り先を探すことも考えてます」とも言う。難しい問題だ。ただ18名いたゼミ仲間のうち結婚したのはまだ3、4名だという。皆さん、ゆっくりしておられる。

愚生も長い人生で何度か月下氷人を務めたことがある。だが昨今、とんとお呼びがかからなくなった。最近の若者は結婚相手を捜すのに、従来の「見合い」という男女斡旋様式を敬遠し、しかるべき相手は他人の手を煩わすことなく自分で見つけ出す傾向にある。昔だってそうだった――という人も大勢いるが。「見合い」なければ「仲人」なし。良いか悪いかは別にして、そういうことになっている。月下氷人はともかく、披露宴に招ばれることもなくなった(これには種々の要因が絡んでくるのだろうが)。

「見合い」という形式を踏むことなく、自由に相手を見つけるのもいい事なのだろうが、困るのは自分の力では見つけられない者の場合だ(これが結構居る)。自主性は結構なのだが、そこにいくばくかの強制力を伴なった場合――半ば強制的な紹介――のほうがうまくゆくように思えるのだが、これは年寄りの僻目か。いずれにしても近い将来N嬢が良縁に恵まれるよう、祈るや切。

午後4時前から食べて話して飲むこと延々3時間、8時前に散会。その間に、以前ドナウを下りウィーン、プラハ、ブダペストをともに回遊したK夫妻が偶然来店し、「久し振り」と再会した。プラハの街が懐かしく思い出される。その一方で、次は西欧ではなく、台湾を訪れて日影丈吉の文の跡に触れてみるのも悪くない――そう思えてきた。

そろそろ梅の季節である。近くに岡本の梅林がある。北都は猛吹雪、東都も積雪との予報が出ているが、神戸は好天。ただ気温は低く、寒い。さて、梅はどう花を付けるだろうか。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む