2019年10月01日

[vol.56]同期会

同期会開催の通知が届いた。同期会とは同窓会のことだが、われらの小さな会は発足以来その名を使っている。郷里の中学の同窓会関西支部の年1回の会合である。総勢10名ほど。隠れ会員がいるかもしれないが、毎回集まるのは10名内外。かつて大阪に住んでいたが今は郷里に帰っていて、会合の時にだけ出て来るという者もいる。熱心というか変わり者というか。もちろん歓迎される。

郷里の中学校には恒常的な同窓会組織はなく(確信はないが、おそらく)各年度の卒業生が全校的に集まるか、各クラスごとに集まるか、そのいずれかになっている(はずだ)が、われわれの学年の場合はそのいずれの会も最近とんと開かれていない。残念ながらよほど献身的な世話好きがいなければ、たとえ毎年でなくても開催は難しい。郷里を出た者が「開いてくれよ」とねだるのも何となく憚われる。あれやこれやで昨今は帰郷する機会はほとんどない。

関西支部は7、8年前から年1回の会合が定期化してきた。M君のおかげである。
元商社マンで豊中在住のM君が幹事役を引き受けてくれ、阪神間の「旨くて安い店」を見つけてくる。われらはそれに任せて集り、食事と近況報告を楽しむ。それだけである。今年は新大阪駅近くの某ホテルの中華飯店を会場とすることに決まっている。

われわれの中学校は2校の小学校の卒業生が進学することになっていた。そんな場合、双方の小学校を代表するガキ大将が新世界での覇を競うはずのものだが、幸いなことにそのことに特化した「事件」は何も起こらなかった。うまく合流したのである。

巷には「新制」という言葉が飛び交っていた。エリートしか進学できなかった「旧制」と違って、「新制中学校」は誰でも行けたのだ。ただ急ごしらえのこととて校舎をはじめ諸施設が整っていなかった。われらの中学校は郊外の田圃の中にあった大阪酸素という会社の廃工場を転用したもので、先輩の2、3年生だけが新築の2階建て校舎に収容されていた。

いろんな教師がいた。当時流行していた劇画(?)の主人公「黄金バット」に酷似していた教頭イノウエこと「オーゴン」、県洋画壇の中堅「テラオのハンチャン」、昼食にトーストパンにバターを塗って喰っていた国語のササキ(この人は夏になると慶応のスクーリングを受講しに上京していた)、南方の戦地帰りのキリノ(前立命館出身の将校、現NHK放送劇団の声優)等々。

筆者はこのキリノにリクルートされてNHK学校放送に声優として出演し、30分100円(税一割引かれて手取り90円)を稼いでいた。
当時の(児童劇団の)仲間でのちに役者稼業に身を落とした(!?)者はいない。せいぜいが高校演劇部での活動くらいまでである。大人の劇団員のなかにはいた。「岡ちゃん」という上手いおばさまがいて、東京へ出てけっこう活躍していた。あとの面々は地元の「葦川会館」を根城にキリノの脚本・演出で演劇活動に打ち込んでいた。

ほとんどの人が鬼籍に入った。余所事ではない。こちらもそろそろ準備しないといけない。準備というのは、向こうでの話のタネである。タネは多種多彩であるのが望ましい。そのためにもあとしばらくはこちらで奮闘する必要がある。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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