2019年09月15日

[vol.55]かもめ

かつて俳優座や文学座といった在京の劇団が本邦の演劇活動、ひいては文化活動の一端を牽引していた、そういう時代があった。労演という文化組織の活動の波に乗って日本各地の劇場を巡演し、生で見る演劇の面白さを伝えてくれていた。

その頃の上演の演目はチェーホフが多かった――これは数的データによらぬごく私的な感想に過ぎないが――そんな気がする。『桜の園』や『三人姉妹』や『ヴァ―ニャ伯父』、『かもめ』などで、東山千栄子、大塚道子、宇野重吉などが活躍していた。

こうした演目がかかるのは、京都ではたいてい京都会館のシアターで、たとえば京大西部講堂の学生演劇とは違って舞台装置も俳優の所作も、また演出も、すべて一皮むけた洗練された味があるように思われた。プロだから当然といえば当然のことだったが。いま思えばチェーホフを観たり読んだりしながら、同時に、抬頭して来る新しい力に負けて衰退し没落していく古い階級古い世代の諦念やまた無為徒食のインテリの自虐を窺い知り、それを青春の壁にぶち当たって苦悩する自我の姿に自分流に重ね合せていたのだろう。身勝手なことこの上ないが、しかしいま読んでもチェーホフは身に沁みるところがある。

その頃だったか、知り合いの歌詠みの少女がとつぜん舞台女優になるといって上京した。それまでは女子高の文芸部で若者の感性を繊細に掬い上げた何首もの歌を発表していた文学少女だった。それが「わたしはニーナになる」と言って故郷を飛び出して行った。しかし一、二年して帰って来た。修業は厳しかったらしい。「あの世界はたいへんな競争社会」と漏らした、と伝え聞いた。そしてまもなくそれまで彼女に文化的刺激を与え続けていた(らしい)男性と結婚した、と伝え聞いた。

古代ギリシアの演劇界に女優はいなかった。女性役も男優が演じた。アンティゴネやパイドラを「演じてみたい」と思う少女がいたかもしれないが、演じた少女はいなかった。前4世紀の末の頃、アレクサンドロス大王の故地に近いアブデラの町でのこと、市民は真夏に上演されて好評を博したエウリピデス作『アンドロメダ』のセリフを毎日歌い歩き、冬になるまでやめなかったというが、その中には芝居好き文学好きな少女らもあるいは混じっていたのではあるまいか。

ニーナになると言いながらニーナになれなかったあの少女は今いずこ。トレープレフを密かに自認しながら短銃の引鉄を引き得なかった男はいまだ馬齢を重ねている。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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