午後3時ごろ、部屋にいると外の廊下でピンポンと鳴る音がする。階下の門口に付けてある装置のボタンが押されたのだ。腰を上げて廊下に出て機器の画面を見るが、人影は写っていない。わざわざ玄関まで降りて行くこともなかろう。部屋の窓から首を出して門口あたりをさぐってみるが、どうやら無人の様子である。ときどきこんなことがある。
拙宅の前のバス通りの歩道部分は近くの中学校の通学路になっている。おそらくそのうちのAかBが知らぬ顔をしてボタンを押したのだろう。
憶えがある。遠い昔、小学校の通学路の途中にちょっとした邸宅があった。進駐軍に接収されて今は将校官舎だという噂だった。ときおりダンスパーティ―なども開かれていたらしい。市の中心部は終戦の年の6月末の空襲で丸焼けとなったが、東部の山に近い一帯は焼失を免れた。六高の校舎、日銀の行員寮、県庁職員の官舎などがある中にわれらの小学校もあった。
その通学途中、この邸宅の呼び鈴をちょっと押す。そして猛ダッシュで逃げ去る。たいていは下校時である。それをよくやった。われら以外にも、そうやってスリル満点の遊戯をやっていた連中もいたかもしれない。
「カバン持ち」もやった。これは中学生になってからもやった。友達三、四人で下校する途中、じゃんけんで負けた者が罰として皆のカバンを持って運ぶ。途中で犬を見つけたら罰則は解消し、新たにじゃんけんをやり直す、というものだ。子供は場に応じてさまざまな遊びを思いつくものだが、流行り廃りもあるのだろうか、最近はとんと見かけない。少なくとも拙宅近辺では。
「ピンポンダッシュ」のほうは、しかし今も盛んなようだ。玄関ベルは、昨今では邸宅はもとより一般庶民の陋屋にも付いているから、子供たちが狙う獲物は随所にある。するほうはし放題、される方はされ放題だ。
玄関ベルが大邸宅を象徴するものとして存立していた時代では、たとえ押し逃げされても家の主人は慌てず騒がず、子供たちの悪戯を平然と受け流していたものだが、今どきの陋屋の主人には残念ながらそのような大人君子の風格はない。捕まえて懲らしめてやろうと玄関先へ飛び出すものの、敵はとっくに逃げ去ったあと、歯ぎしりしながら地団太踏むのがせいぜいだ。
やがて夏休みだ。といって油断はならない。部活で登下校する子供が多いからだ。大人ならぬ小人凡夫のわが身に、押されても平然と受け流すことがはたしてできるかどうか。この夏の観察課題である。
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