2019年04月15日

[vol.45]森伊蔵

「森伊蔵が手に入った、飲みに来ないか」というメールが知り合いの夫婦からきた。即座に「行く」と打ち返す。愚妻を入れて四人、しゃぶ鍋をすることにし、牛肉を買い込んで参上する。知り合いは中小企業の自営者。商用で鹿児島へ出張したときに「貰ってきた」のだという。

愚生はふだん焼酎はあまり飲まず、その種々の情報にも疎いほうだが、それでも森伊蔵が天下に名だたる名酒と巷間噂されていることくらいは心得ている。それが一升ある。心昂ぶるではないか。

とりあえずビールで喉を湿らせたのち、生のままの少量を嗅ぎ、含む。何もわからぬくせにそれらしく恰好をつけるための仕草である。芋の香は予想したほどはない。重くなく爽快で切れのある味わいである。飲みやすい。それを湯割りで飲む。

時は弥生。たまに寒の戻りがあって春めいた日和はまだ少ない。梅はさすがに時季を過ぎた。この辺りでは「梅は岡本、桜は吉野」というらしいが、遠い吉野はさておき、近隣でも桜はまだ花をつけない。知人宅は東灘の沖の人工島にある。人工島には桜の木はない。あっても僅かである。拙宅近辺にも桜は少数である。桜花愛でるには東は芦屋川、西は王子公園まで出向かねばならない。せっかくの森伊蔵も桜宴の友とはならなかった。

拙宅の近所の某家に一本の大木あり。昨年はこれが満開となって楽しませてくれた。桜花爛漫、歩道にまで張り出した桜の枝の花の下、通りすがりの身に過ぎぬ者ながら、至福の一刻を過ごすことができた。さて、今年はどうか。満開の桜の木の下には鬼が棲む――とか言われている。ひょっとすると日暮れどき、その鬼に頸筋あたりへしがみ付かれるかもしれない。

劇団「清流劇場」の今年春の公演は『壁の向こうのダントン』(G.ビュヒナー『ダントンの死』の改作)だった。その「清流劇場」恒例の花見会が四月一日(といってもウソではないらしいのだ!)天王寺の茶臼山で行われる。茶臼山には桜が多い。参加されたしとの連絡あり。行ってみようと思っている。

一升瓶の森伊蔵はとても飲み切れなかった。男女四人頑張ったが、飲んだのは精々三、四合くらいだろう。他に倉敷土産だという森田酒造の濁り酒も供され、これが飲みやすくてつい過ごしたせいもある。せっかくの森伊蔵だ、抜栓しながら濁り酒のほうに口を奪われるとは何ごとぞ、と叱られるだろう。

森伊蔵と濁り酒と牛しゃぶで3時間余り、桜花こそなけれど春宵一刻値千金、朧月の下帰途に就く。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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