2018年11月01日

[vol.34]ジャズと串カツ

過日「木曜会」があった。予定では『夢十夜』を取り上げることになっていたが、どうにも話が弾まず、前回の『明暗』をまた取り上げて俎上にのせることになった。

Mさんが紹介した正宗白鳥の『夏目漱石論』に言う、「少し箍が緩んでいるような感じがする作品である。運びがまどろしく退屈だ」との評言はまさに正鵠を射た卓見である、と思われる。

ただ次はどうだろう、「これまでの彼れの小説には、多くの女性は断片的に現されているか、あるいは型に入ったように現実味を欠いでいたが、お延とお秀と、吉川夫人とは、充分に現実の女らしい羽を拡げて羽叩きしている」。果たしてそうか?

お延もお秀も饒舌ではある。二人は夫と妻の関係性について論じているが、しかしそれは近代社会における女性の地位、あるいは職業の問題にまで達することはない。女性自立の問題は市民小説として成立する上で重要な要素となるものだが、それがまだじゅうぶんに展開されているとは言い難い。

K先輩も白鳥の『漱石論』のこの箇所にかくべつ異は唱えない。筆者は朝鮮帰りの小林がその存在を重くするはずの続篇に市民小説としての完成を期待したいのだが、漱石死してそれは永久に夢と化してしまった。たとえ書かれたとしても、弛み切った箍を締め直すのは難行だろう。真の意味での近代市民小説は、少なくとも漱石によっては書かれなかったことになる。

会のあと、いつもはMさんと梅田でジョッキ片手にさっきまでの議論の復習をするのだが、彼に所用があるとかで、早々に別れる。阪神で青木まで帰り、駅南の居酒屋「周山」に寄る。外出している愚妻と落ち合うことになっている。
とりあえずビール、そのあとは焼酎「もぐら」の水割り。京風のおばんざいよろしく目の前の大皿に盛られた肴の中から「鰻巻き」などを選ぶ。時節がら「松茸の土瓶蒸し」もいただく。松茸は、もちろん国産ではないから、香りが薄い。昨今は松茸に限らず、国産でも、茗荷も、いやキュウリ、トマトでも匂や味に独特のくせ、エグ味がなくなった。筍でもそうだ。せっかくの野の味と香りが弱まり失われているように感じられる。これは洗練ではない、弱化だろう。
追加して魚貝類の串揚げも注文する。

高い天井を打ち放しのコンクリの壁で支えている店内にはジャズが鳴っている。
串を揚げ終えた店主に訊くと、「好きなんです」という、一番は「ビル・エヴァンス」だと。「おたくは?」と訊かれ、最近たまたま聞いていたチェット・ベイカーだと、「ペットと歌のBut not for me がいいですね」と返す。

2時間ほど、愚妻ともどもたっぷり飲み食いしたのち、腰を上げる。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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