2018年08月01日

[vol.28]カルメン尋ねて

「母を尋ねて三千里」というのが昔あったが、カルメン尋ねては、三千里も行くことはない。すぐ近くの神戸、三宮だ。30分少々もあればじゅうぶん行き着ける。この場合、断っておくが、カルメンというのは人名ではない。スペイン南部の情熱的なジプシー女を思い浮かべられると、ちと困る。カルメンは場所の名前、もっと正確に言うと、スペイン料理店の名前である。
5月にあったさる会合で、50年ほど前に知り合った男Kがいま偉くなって医院を開き、月に一度趣味で(だろうと思う)スペイン料理店「カルメン」でフラメンコギターを弾いている、という話を聞いた。その店が三宮にあるというのである。それを捜しに出かけて行った。
知人にスペインに詳しい男がいる。スペイン演劇研究家T氏だ。今年の春もスペイン現代劇の公演を観るためにひと月近くマドリードに滞在していた。彼に訊くと「カルメン?知ってますよ」と言う。昔からの馴染みの店だと。彼に案内されて行く。あった。生田神社の東南、線路際を北へ少し入ったところに「カルメン」はあった。
昔の純喫茶店風の小暗い室内。そんなに広くはない。毎週土曜日にフラメンコダンスの実演があり、古い知人Kはその伴奏に出て来るのだという。
片隅のテーブルに座を占めて、まずはマドリード産のセルべサ(ビール)「マオウ」で乾杯する。イケる。店推薦の卵料理フラメンカエッグ、タコのアヒージョ、イカの墨煮などをつつく。一緒に付いて来た家人はパエリャを注文する。ビールの後はやはりワインとなり、よく冷えた白(ラベルはMaroues de Riscalと読める)、常温の赤(San Martinと読める)、それぞれ一本ずつを3人できれいに空ける。
思い出した。以前この3人はマドリードのホテルのバルでビール(銘柄はサンミゲルだったと思う)を飲んだことがあった。筆者と家人はツアーに乗って当時マドリードにいた。夏だった。知人は仕事でバラハス空港へ着いたばかりだった。マドリード市内の宿に荷物を置いて、われらのホテルまで駆けつけてくれた。われらは翌日から南のコルドバへ下る予定だったから、知人と飲めるのはその時しかなかったのだ。ふだんは大阪の枚方あたりでよく飲んでいたが、せっかくマドリードで会う機会があるんだからマドリードで飲もうということなのだった。
筆者もかつてマドリードの街をすこし歩いたことがある。グランビア東端の南にあった言語文化研究所に顔を出していたときは、昼になると近くの「どん底」(新宿「どん底」のマドリード支店?)へ行って、タコ酢にビールで慣れぬ地での生活の苦労を慰めた。古代ギリシア哲学のS先生夫妻が外遊途中に寄られたときは、奥方のためにそこで日本料理を供したこともある。
しかしマドリードの下町の食事、料理への通暁という点では上記の演劇研究家T氏に敵う者はいない――と言ってよいだろう。まずはマドリードの街そのものへの沈潜度、そして飲食への飽くなき探求心、旨く安くをモットーとするその姿勢、一度卓につけば見事なまでの酒豪、健啖家ぶり、そして同席者を飽かせぬ豊かな話題。まさに言うことの無い美食の狩人であり、美食の報告者である。願わくは、飲食の神よ、近いうちに彼とともにマドリードの下町を歩き回り、B級グルメに舌鼓を打つことができますように。
言い忘れたが、先のフラメンコギターを弾く医師Kは50年ほど前に初級ドイツ語の手ほどきをした男である。しかし彼はそのことも、ドイツ語そのものも、もう忘れてしまっているだろう。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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