2018年07月01日

[vol.26]家庭音楽会

階下からプ―プ―という音が聞こえてくる。家人がフルートをいじっているのだ。わが茅屋は狭い。かつ安普請である。邸内に広大な庭園があって遠くの部屋の音は届かぬ、その部屋には防音装置が施してあっていかなる騒音も遮断する―そんなことがありうるはずがない。

なぜフルートか。わが飲み友達のそのまた友人に西宮在住のちょっとした金持ちがいて、これが趣味でフルートをやる。奥方は音大出身のピアニスト、令嬢もピアノを弾く。その一家が友人知人を集め、邸宅のリビングルームを開放して音楽会を開く。

某月某日、午後2時から宵の口まで第1部クラシック、第2部ジャズ、シャンソン、合唱という2部構成で音楽発表会を催し、終演後は「えり膳」の弁当と持ち寄りの酒、ビール、ワインで合評と談笑。相集う者およそ30名。なかなかの会であるが、これがもう4年ほど続いている。

中学生の頃吹奏楽部でフルートを吹いていたという家人は、古い楽器を何處からか引っ張り出して来てこれに参加し、メンデルスゾーンの「歌の翼に」の合奏(ピアノを入れて計4人)に加わったが、上手な仲間の陰に隠れて何とか大過なく吹き終えた―ようだった。

19世紀のウィーンにもこうした音楽会があった。楽都ウィーンを代表する楽聖ハイドン、モーツァルト、ベートーベンらの音楽活動を支援したのは大貴族たちだった。だが彼らは対ナポレオン戦争で多大な負債を抱えて没落し、パトロンの座を降りてしまった。この没落貴族に代わって音楽をはじめとするウィーンの文化活動を支えたのは、新たに登場してきた富裕な中産階級だった。シューベルトが活動したのはこの時期である。

「シューベルティアーデ」と称される音楽会があった。シューベルトを囲む音楽付きの親睦会である。これが富裕な一般市民の家庭で開かれ、多くの市民―画家、詩人、劇作家、音楽家、中堅貴族、役人、医者たち―が参加した。従来の大音楽会の常連であった名門大貴族、高級官僚、宮廷音楽家に代わる人たちである。わたしたちに馴染み深いシューベルトの数々の歌曲は、こうした家庭的サロンの中から生まれてきたといってよい。

あるときの「シューベルティアーデ」に出席した人間の日記がある。その一部を借りる。
1826年12月15日。シュパウンのところへ行く。そこでとても大きなシューベルティアーデが催されるからだ。入り口でフリッツから厳かに、ハースからとても小生意気な態度で迎えられた。パーティの出席者はすごい面々だった。[……]今日とくに興奮した雰囲気のもとで涙が出そうなほど感動したのは、第五行進曲のトリオだったが、この曲を聴くたびに優しかった母を思い出す。音楽が終わると、今度はご馳走で舌鼓を打ち、それから踊った……

西宮のシュパウン家では、音楽のあと踊りはなく、一杯きこしめした歌自慢がジャズのスタンダードナンバーを歌う。それを聞きながら愚生は「剣菱」を戴く。8時半散会。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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