2018年03月01日

[vol.18]ある親爺の死

クセノポンに『アナバシス(一万人の退却)』という著作がある。前5世紀の末の頃、ペルシア王室の内紛に乗じてギリシアが出兵したことがある。しかし事はうまく進まず、けっきょく派遣軍は退却を余儀なくさせられる。その出兵と退却に伴う軍の諸相を忠実に記録したのが上記の書である。遠征軍の将が語る戦事の実録ルポルタージュといってよい。

クセノポンはソクラテスに師事した哲学徒で、プラトンの同窓生だった。それが妙なことからペルシア派遣軍に関わった。そしてその時のことを克明に書き記した。その中にこういう一節がある。

そこで直ぐにその二人を連れてこさせて、今見えている道のほかに別の道を知らぬかどうか、別々に尋問した。その一人は、さまざまな威嚇を加えられながらも、知らぬと言った。その男は何一つ役立つことを言わぬので、もう一人の男の面前で斬殺された。もう一人の捕虜の言うところでは、先の男には行く先の土地に嫁いで、夫と暮している娘があるために、知らぬと言ったのだという。
(クセノポン『アナバシス』4,1、松平千秋訳、筑摩書房)


退却するギリシア軍が小アジアで現地人二人を捕えて道案内をさせたときの話である。
不用意に口を開くと娘はギリシア兵らの略奪と凌辱の対象になるかもしれない。娘の身の上を慮った一人は沈黙を押し通したあげく死に至る。その死は、娘という愛の対象を護るために自らを犠牲に供した身代わりの死であるといってよい。

ギリシア悲劇によく出て来るのは、国家や民族のために、あるいは自らの信念のために我が身を捧げる死である。たとえばアンティゴネがそうである。彼女は国法よりも神の法(古くから人間生活を律する不文律)を重んじて国法に逆らい、死に赴くことになる(ソポクレス『アンティゴネ』)。

件の親爺の死は、そういう理念あるいは抽象概念のための死ではなく、娘という具体物のための身代わりの死である。このような死は小アジアに限らず、内戦中の前5世紀後半のギリシア本土でも数多くあったはずである。そして人間の生と死を的確に描き出すことを目的とする文芸家(文筆を以て芸術表現を志す人士)にとっては、これぞまさに恰好の題材となるはずのものだったと思われる。

文芸作家ではないクセノポンは事実をただ事実として記録し、報告した。それはそれでよい。一方当時アテナイには、ディオニュソス劇場を使って人間の諸相を描出する劇詩人がいたはずである。ところが彼らはこうした一般個人の死を取り上げて世に伝える術を持っていなかった。最も革新的だったエウリピデスでさえ成し得なかった。「無名の個人の死」は神話伝承を素材とするギリシア悲劇にそぐわず、親爺の「沈黙」は言語芸術である演劇の舞台に合わなかったのである。

親爺の死のような無名の個人の死、それでいて文芸上小さからぬ意味をもつはずの死は、ホメロス以来の朗誦の対象にもならないし、そうかといってデイオニュソス劇場の舞台に掛けられるものでもない。おそらくそれは各個人が各自に持つ「読書」という手段によってしか受容され得ないものであろう。

従来の朗誦や演劇に代わって「読書」という受容形態が登場するのは紀元前後の頃である。親爺には、それまで待っていてもらわねばならない。

今宵の晩酌2合の酒は、まずはあの親爺への献杯から始まる。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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