2018年01月15日

[vol.15]木曜会

木曜会といえば漱石山房。わたしたちも、じつは木曜会を開いている。ただし元祖とはかなり違う。小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平に始まって内田百閨A芥川龍之介、久米正雄ら錚々たる文人墨客、学徒らが毎週木曜日の午後3時に漱石山房に集り、師弟ともども談論に興じるというのが元祖のそれ。われわれのは会員わずか3人。毎週ではなく年に何回か木曜日に梅田のビルの一室に集まって、漱石の作品を題材にあれこれ喋々喃々するだけのもの。木曜日と漱石の作品が題材というだけの繋がりで木曜会を僭称しているだけに過ぎない。

もう3年になる。言い出しっぺはK先輩。魯迅の研究者で長年大学で中国文学を講じてきたが、一方、創作家でもあり、中央の大手出版社から既に2冊のエンタテインメント小説を刊行している。わたしたちの上の世代に多い漱石愛好家でもある。
いま一人はオーストリア中世、近代の作品研究を課題としつつ、これまた長年学究生活を送ってきた仁。
残る一人のわたしは、前者二人の驥尾に付して漱石学を学ぶ初心者。漱石を知らずして文学を喋々するわけにもゆくまいという思いから、参加させてもらっている。

漱石は英文学研究の途を捨てて朝日新聞社に入社し、作家生活をスタートさせた。以後新聞紙上を借りて広く江湖に意を問うこととなる。明治人の常で、漱石も日本社会の急速な近代化、西欧化の中でその精神的基盤をどこに置くか、普請中、いや改造中のわが家屋のどこを己が私室とするか、苦慮したはずである。

たとえば漱石の作品に頻出する「高等遊民」という存在などはその「苦慮」のあり方の一つであり、いまなお読む者の興味を引くものながら、しかし実体として読者に迫ってくる迫力は乏しいのではないか、と言わざるを得ない。それは当時と現代との時代の差だけによるものではなく、その描かれ方自体がきわめて曖昧で実態を伴なうものになっていないからである。彼らは霞を食って生きているとしか思えないほど、どう読んでもその経済的基盤が薄く乏しく思われる。つまり彼らは実体のある市民として生きていないのである。そのことが各作品を(健全な)市民小説として成立させることに失敗している。せっかく新聞小説という場、広い読者層(市民)を与えられながら、それを生かすことを怠っている――そうみえる。
『彼岸過迄』(明治45年)の松本、須永にしろ、『こころ』(大正3年)の先生にしろ、そうである。市民小説として成立しそうな塩梅になるのは、やっと『明暗』(大正5年)になってからである。各登場人物が一個の人間として動き始める。

住処を普請したり改造したりすればいったいどれほどの銭が要るのか、つまり急速な近代化の中で市民小説を構築するにはどれほどの(精神的)銭が要るのか、それをきちんと認識すれば、巷へ稼ぎに出掛けるのは避けられないこと自明である。それを書く。あれこれ悩むのは帰宅後でよい。それが健全な市民生活というものであり、そうしてあれば日夜神経衰弱に悩まされることもなくなる。そういう日常を活写すれば市民小説誕生となる。

こういう駄弁を具申して魯迅研究家にして作家のK氏を呆れさせ、「帰る」というのを見送り、残った二人は梅田の駅前第一ビル地階の一杯飲み屋でビールで喉を湿らせる、これがわが木曜会の毎回のパターンである。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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