前者は台風直撃の日で、跳ねたあとたいへんな目に遭ったが、そのことは、ここではもう書かない。後者は幸い天候に左右されることなく、じゅうぶんに楽しめた。劇場は芸文センターの中ホール。主人公エクトールを演じる鈴木亮平が地元出身ということもあってか、多数の女性客を集め、満員の大盛況。斬新な舞台装置が思いのほか劇の内容とマッチし、バイオリン一本に託した音楽も効果的であった。
俳優陣は各人熱演。劇後半のエクトールとオデユッセウス対峙の場では、熱いエクトールに対して終始悠揚と応対する谷田歩のオデユッセウスが印象的であった。エレーヌは、シナリオではパリの下町の小娘ふうのコケトリが鼻につくが、舞台ではそれが抑えられていた。一路真輝、往年の美貌衰えず。
カッサンドルを演じた江口のりこは、線が細い。シナリオでの彼女は決してそうではなかったはずだ。ホメロス以後のさまざまな作品(悲劇など)に登場する彼女は、予言能力を持ちながらその予言は人の耳に入らぬ、いわば真実を有しながら世に受け容れられない、という悲劇性を持つ人物であるが、しかし決して弱い人物ではない。それを表現するには江口のりこは、そしてどうやらシナリオも、弱すぎる。
ギリシア方との談判でエレーヌ返還が決まり開戦が回避されるかに見えたとき、軍歌にこだわる詩人デモコスの邪魔が入り、開戦必至の様相を観客に提示して幕が降りる。ちなみに軍歌を書く詩人は常に国家を危機に導く文化人という名の市民だが、シナリオのデモコスは本来あるべき愚劣さ、軽薄さ、無意識の悪辣さに些か欠ける。その点は舞台でも同じ。ただ演じた大鷹明良は熱演。
聞かせどころは以下、でもあろうか。
エクトール (あんたがたは)言葉をすげかえ、美のための戦争だと言いながら、ぼくらをたったひとりの女のために戦わせるつもりなんです。
プリアム おまえはどんな女のためにも戦争はしないというのか?
エクトール するもんですか!(第1幕 第6場)
トロイア戦争は「幻のヘレネ」争奪のための戦争だったとするエウリピデスの悲劇『ヘレネ』が思い起こされる。この作品のことはジロドゥももちろん承知していたであろう。
対独戦開始直前の時点で、ジロドゥはなぜ本篇を書いたのだろう。しかも敗者トロイアの側に立って。外務官僚として開戦回避の実務に従事していたはずなのに。ドイツ(ギリシア)軍が攻めてくることは、ほぼわかっていたはずなのに。反戦の歌(?)を歌って聴かせる前にするべきことはあったろうに。
劇場で劇評家の九鬼葉子氏に会った。跳ねたあとにご一緒して早速の劇評をお聞きしたいと思ったが、残念ながら叶わなかった。いずれどこかにお書きになるだろうから、期して待つとしよう。
帰途、JR摂津本山駅北口の串カツ店Cに寄る。初めての店へのとび込みだったが、明るく清潔、店の者の応対もよし。値段も手ごろで言うことなし。ビールと清酒「灘菊」の冷や。満足して帰宅する。
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