2017年08月01日

[vol.4]大阪阿波座のポルトガル料理

その夏はスペインのマドリードでローマの悲劇、セネカ作『メデア』を読んでいた。セネカはスペインのコルドゥバ(現コルドバ)生まれ。早くにローマへ出て勉学修行ののち、皇帝ネロの幼少期の家庭教師となり、のちにはネロ政権の片腕的役割を果した人物である。その本体はストア派の哲学者であったが、ギリシア悲劇をリライトした作品9篇を残した。その『メデア』は、エウリピデスの『メデイア』を素材としたものである。夫に捨てられた腹いせに復讐を企て、夫の新しい妻、岳父、さらに夫との間にできた子供たち二人も殺害するというのが、その粗筋。

ただ両者のメデ(イ)アを比較してみると、その違いが歴然とする。セネカのメデアはエウリピデスのメデイアよりもさらに強い。エウリピデスでは復讐後のメデイアの逃亡先を引き受けるアテナイ王アイゲウスが重要な役割を果すが、セネカではアイゲウスは登場しない。味方を持たず孤立するメデアは嫌でも強くならざるを得ない。彼女は子供に対しても非情である。その出自(黒海東岸のコルキス)を重視したのか、魔女的要素がより強調されている。

メデア メデアが残っている。このわたしの中に/海と陸と剣と火と稲妻とがあるのが見えないか。
乳母 王さまを怖れなければ。
メデア         わたしの父も王だった。
乳母 武器は怖くありませぬか。
メデア          たとえ大地から生まれ出た輩であろうと。
乳母 死にますよ。
メデア    望むところ。
乳母         お逃げなさい。
メデア             逃げて悔やんだことがある。
乳母 メデアさま。
メデア    ええ、そのメデアになってやろう。
乳母                   あなたは人の子の母。
メデア                         母親にしたのは
                       どの男か、おまえも承知。
乳母 逃げるのを躊躇するのですか。
メデア            逃げたい。でもその前に復讐してやりたい。
乳母 追われる身になりますよ。
メデア          追跡を遅らす方法くらいみつかるだろう。
(セネカ『メデア』166〜173行)


メデア [……]もしできるなら、彼は/わたしのヤソンとして以前と同じように生きてほしい。もしそれがだめでも、/彼はとにかく生きてわたしのことを想いながら、わたしがあげた生命という贈り物を上手に使って生きてほしい。/罪はすべてクレオにある。
(同上、140〜143行)


メデア ねえ、たとえ他の者があなたの奥さんはひどい女だと非難しても、/あなただけは弁護してくれて無実だと主張してちょうだい。/あなたのために罪に落ちたのよ、あなただけでも無実だと言ってくれてもいいでしょう。
(同上、501〜503行)


ここには愛があり、未練がある。セネカはエウリピデスのように子供への愛情は描か
なかったが、夫ヤソン(=イアソン)に対する愛と未練は先輩以上に描き込んだ。

『メデア』は最後まで読み切れなかった。研究所が夏休みに入り、寝泊まりしていた学寮も追い出されたのだ。旅に出るしかない。一度ドイツのケルンまで行き、思い返してバルセロナからリスボン行きの夜行寝台に乗った。明ければ海のように広いテージョ河の河口である。かつての威光をわずかに残しながら、しかしどこか哀愁の漂う老いた都市リスボン――丘の上から真直ぐ海へと下る大通りを歩いていたとき、いかにもインテリ然とした年配の紳士にとつぜん呼び止められ、「金を貸してくれないか」と懇願された――、古都コインブラなどを訪ねながらスペインに入り、古い大学町サラマンカを経てマドリードへ帰り着く。食事は? 忙しい一人旅ではゆっくり食卓に向かう気にもなれず、やけに塩辛い大蟹をワインで流し込んだくらいだった。

あれからもう何年にもなる。過日知り合いからポルトガル料理に誘われた。大阪・阿波座のポルトガル料理店C.d.A.である。地下鉄四ツ橋線の本町駅下車、徒歩10分のところにある。中は広くはない。四人用のテーブル2、二人用が3、あとはカウンター10席程度である。ブイヤベース風の魚介類(タラ、エビ、ムール貝、アサリなど)の鍋料理が美味。平らげたあとのスープにコメを煮込んでリゾットにする。これまた美味。やや濃厚なポルトガル産白ワインとともに満喫、堪能した。お薦めである。

老婆心ながら――植民地(ブラジル)生まれの黒髪の女性がいて給仕してくれる、すわメデアか、いや、ちがう。安心されたい。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む
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