そういう名の戯曲がある。ドイツの劇作家G・ハウプトマン(1862-1946)が1892年に書き、1893年に初演した。それを来春大阪で上演しようという企画がある、(清流劇場、一心寺シアター倶楽)。頼まれて日本語にした。ただ「織り工」と言う訳語はなんだか語呂が悪いので、題名は『機織る人々』とした。
1800年代半ばにドイツ東部のシュレジエン地方(現ポーランドのシロスク)で起きた住民の一揆を素材にした、いわゆる社会劇である。当時この地方で機織り産業に従事していた貧困階級の住民らが飢餓に耐えかねて起こした反乱事件を描いている。貧困にあえぐ庶民の生活、彼らを律する宗教、収奪する工場の旦那衆、我慢し切れず立ち上がる民衆等々がリアルに描出される。
こんな遣り取りがある。
ハイバー その布に包んだものは何です?
バオメルト老 にっちもさっちもいかんようになってなぁ、飼っとった犬をバラしてもろうたんじゃ。肉付きゃ悪かった。飢え死に寸前じゃったからなぁ。
可愛らしい仔犬じゃったがな。わしゃこの手でやりとうはなかった。とてもそんな気にゃなれんかった。(第1幕)
彼らの飢餓状態を示す一節だ。
19世紀のヨーロッパは激動の波のなかにあった。いっとき全域を席捲したナポレオンは失脚しフランスは王政復古するが、再び革命が起きてナポレオン3世の帝国となった。長らくドナウ河流域に君臨していたハプスブルク帝国もようやくその勢力を失いつつあった。代わって台頭してきたのがプロイセンである。そうした時代背景のなかで生まれてきた市民意識は時代を反映する社会劇を生み出す。ハウプトマンに先立ち、すでにイプセンが『人形の家』(1879)を発表している。ノラは新しく先駆的な女性像の登場を鮮やかに示した。
ハウプトマンが描くのは、ノラのような独立した個人の象徴的人物像ではなく、社会の下層にうごめく貧民の群像とその蜂起である。19世紀から20世紀にかけての変動する社会のなかで、貧しい庶民の欲求が政治的な力となって顕在化し革命となって結実するのは1917年のロシア革命が最初だが、それまでにも小規模な一揆や反乱は多々あったのだ。
日本が維新以来の富国強兵路線を遂行し、その一つの成果として日露戦争に勝利するのは1905年のことだが、その10年前にハウプトマンは『機織る人々』を書いた。残念ながら日本では(銃後の)庶民生活はじゅうぶんに書かれていない。国民作家漱石も書いてはいないのだ。