まずアブラゼミ,ニイニイゼミ、樹上高くにいて捕りにくいので余計に捕りたいクマゼミ――その鳴き声から「シャーシャー」と呼ばれでいた、われらの仲間内では。
トンボはギンヤンマ、オニヤンマ、シオカラ、糸トンボ、赤トンボなど多士済済。
戦後すぐの夏はこうした昆虫たちオールスターの競演だった。
いまセミはクマゼミだけになった。わが住まいの周りではアブラゼミもニイニイゼミもいない。気温が上昇して南国化したせいだといわれている。ミンミンは東国か、西国でも北部の山間にしかいない。あれはあくまで東京標準のセミの代表選手である。適当な水辺もないから、トンボも見かけない。
以前ひと夏過ごしたことがあるドイツには、セミはいなかった。見かけなかったし、鳴き声も聞かなかった。アルプス以北のヨーロッパには、どうもセミはいそうにない。しかし地中海沿岸になると、けっこういる。ギリシアのアテネ南方サロニカ湾に浮かぶアイギナ島のアファイア神殿境内の木立で、筆者自身鳴き声を聞いたし捕まえもした。ニイニイゼミのような小型のセミだった。
セミは昔にもいた。前700年前後の頃の詩人ヘシオドスが証人である。田園の夏の昼下がりの情景が以下のように詠われている。
薊(あざみ)の花が咲き、騒がしい蝉が樹にとまって休みなく、
その羽根の下から朗々たる歌を、四方に撒き散らす
凌(しの)ぎがたい夏の日々、その季節となれば、
山羊はもっとも肥え、酒の味も一番良い、
女はもっとも色情をつのらせ、男はもっとも精気を失う、
セイリオス星が頭と膝を焦がし、
肌は熱気に干されて乾き切るからじゃ。ヘシオドス『仕事と日』582〜588(松平千秋訳)
セミは街中にもいる。時代が下がって前370年代、あのプラトンがセミに言及している。夏の一日、アテナイ市内を流れるイリソス川のほとりのプラタナスの木陰でソクラテスとパイドロスが美について議論している、そのひとこまである。
ソクラテス:[……]むかし、あの蝉たちは人間だった。ムゥサの女神たち(9人の詩女神)がまだ生まれない前の時代に生きていた人間どもの仲間だったのだ。[……]すなわち、彼ら蝉たちの種族は、この世に生をうけると、何ひとつ身を養う糧を必要とせずに、生まれたすぐその時から死んで行くその日まで、食わず、飲まず、ただひたすらうたいつづけ、そして、死んでからのちは、ムゥサたちのもとへ行って、この世に住む人間どもの中の誰が、どのムゥサの女神を敬まっているかを、報告するということになったのである。……プラトン『パイドロス』259BC(藤澤令夫訳)
今日も朝からセミの賑やかな声がする。捕虫網を手にした幼年少年たちが並木道をあちこちしている。
ヘシオドスはセミの声にリギュロスという形容詞を付けた。ギ英辞書ではsharp,clear,piercingの訳語があてられている。先の引用のなかの「朗々たる」という訳語は適確である。sweetという訳語もあるが、これはどうだろう。古代ギリシア人はさておき、わたしたちにはあのセミの鳴き声を「甘い歌声」とは、どうも聞けないのではないか。
夕刻庭に打ち水をし、棚にぶら下がる葡萄の房の一粒を戯れに口に入れてみる。