郷里の中学校の同級生で関西在住の者が毎年1回寄り合う会がある。総勢10名前後の小さな集まりである。その世話人でかつて商社マンだった男が、たまたま(らしい。なぜなら彼は豊中の住人だから)そこに立ち寄って気に入ったらしい。筆者にも「一度行ってみろ」というので、某日思い切って北野坂を上って行った。
難なく見つけてドアを押す。中は広くない。立派なカウンターがグッと出っ張るような感じで、恐らく以前はバーかスナックだったのを、喫茶店に転用した――どうもそんな雰囲気である。客はいなかった。同行の友人(上の同級生とは別の飲み友達)とテーブルに席をとる――と、出てきたマダムを見て驚いた。
15、6年前のことだ。阪急御影駅の近くのレストラン「蘇州園」での会合からの帰り道、御影駅改札口正面のビルの2階に飛び込んだ。「京風おでん」の看板に釣られてのことである。先の店で下地ができていたのに、いやそのせいで、さらに飲む量がずいぶんと進んだ。勘定のあと、貰ったマッチを見ると「菱花」とある。それを機会にそれからもちょくちょく通った。酒は大銘柄のものではなく、魚崎郷の中小の醸造場のものを多く置いていたように思う。「桜正宗」、「浜福鶴」、「泉正宗」、「福寿」などである。ところが、ある時行ってみると灯は消えて店仕舞いしていた。あっけない幕切れだった。
その時の女将がいま目の前にいる。テーブルの上にあるのはコーヒーカップだ。「あれからいろいろあって……」――話を聞きながらコーヒーを啜る。彼女は詩文を書くのが好きで(現に関西詩人協会会員)何冊か著書も出版しているが、
ようこそ/おいでやす/駒子が笑う/ようこそ/おいでやす/藍/駒子の着物
――こんな短い詩を書く――
昨今は店にファンを集めてシャンソンの会やら小唄の会などを催しているという。「あれから何がどうなったのか」、こちらは別に詳しく聞きただすこともなくコーヒーを飲み、「たいへんだったんですねえ」と言い、再会を約して店を出る。
古歌にあるように、「われても末に」思いがけず遭ったのだけれども、――ただそれだけのことで、こんなことはよくある話かもしれない。
陽が六甲の向こうに落ちる夕刻、飲み損ねたわれらは北野坂を下って来て、横道に逸れ、同行の友人が案内するおでんの店「たばる坂」に寄る。ここは質量値段とも言うこと無し、推奨できる。諸兄も三宮で飲みたくなったら、一度どうぞ。
さらにそのあと行きつけの鮨処、住吉の「真砂」でビールを飲み、帰宅。