2017年11月15日

[vol.11]観劇、そしてそのあと……

フリードリヒ・シラー原作の劇『メアリー・ステュアート(マリア・シュトゥーアルト)』を観た。劇団「清流劇場」の2017年度秋の公演(田中孝弥演出、10月19〜22日、伊丹アイホール)。そのうち後半の2日間を観た。

史劇である。時代は16世紀後半。場所は英国。イングランド女王エリザベスとスコットランド女王メアリーの両人が政治的に、またお互いに奉じる宗教の違いで対立し抗争する。最後、エリザベスの手に落ちたメアリーが処刑されて抗争は終わる。シラーは劇の後半でこの二人を直接に対峙させ、緊迫した場面を作り出す。

死を覚悟した者は強い。メアリーは自らの命と引き換えに、エリザベスとの抗争に勝利を得る。エリザベスはメアリーを処刑し、物理的かつ政治的に勝利するが、二人の間の精神的葛藤においては自らを勝利者と自賛することはできない。力が強い者、勝利した者の心中は常に複雑に揺れ動いている。

しかし政治的に勝利した者が歴史を作る。エリザベスはこののちも強くあらねばならない。メアリーが何を言おうが、頓着する必要はない。劇の末尾、彼女はあらゆる雑念を抑えて、強い意志を籠めた眼差しを舞台中央から観客席に向けて放つ、1秒、2秒、3秒……照明が落ち、全館闇に包まれた中で劇が終わる。
上演台本の最後は以下のようになっている。少し長いが引用しておく。

エリザベス バーリー卿、言いなさい。
 あなたは私の手から、死刑宣告書を受け取りましたか?
バーリー いいえ、デイヴィソンから受け取りました。
エリザベス デイヴィソンはそれを、私の名において、
 あなたに渡したのですか?
バーリー いいえ、そうではありませんが……
エリザベス それなのにあなたは刑を執行してしまった。
 私の意志を確かめもせず。勿論、判決は正当です。
 世間の非難を浴びる余地はありません。
 しかし、私の慈悲の心も確かめずに、事を運ぶのは、
 あなたがたの権限を越えています。以後、目通りは許しませんよ!
 (と、デイヴィソンへ)厳しい法の裁きをお待ちなさい!
 (デイヴィソン、バーリー、ポーレットが去っていく)
エリザベス ――シュル―ズベリー伯爵!あなたは貴重なかたです。
 私の顧問官たちの中であなただけを正義の人と考えていました。
シュルーズベリー 陛下の忠実な味方を追放なさってはいけません。
 あの者たちも陛下のために行動し、
 そして今は、陛下のために沈黙を守っているのでございます。
 ――しかし陛下、この私は十二年間お預かりしておりました
 この御璽(ぎょじ)をお返しさせていただきます。
エリザベス (驚愕して)いけません、シュルーズベリー!
 この大事な時に、私を見捨ててはいけません、今……
シュルーズベリー 何卒お許しください、
 この度のような陛下の為され方を批准する御璽は扱いかねます。
エリザベス 私の命を救ってくれたかたが、
 今度は私を見捨てるのですか。
シュルーズベリー あなたのお心の中にある気高い気持ちを、
 私は何一つ盛り立てていくことができませんでした。
 ご機嫌よう、安らかなご統治をお祈りいたします!
 敵は死に絶え、もはや何一つ恐れるものはありません。
 ご心配も無用でございましょう。(と退場)
 (エリザベスは無理に気を取り直し、静かな落ち着きをみせて毅然と佇む)

主役の女優二人をはじめ全員好演。千秋楽は満員の客が万雷の拍手を送った。ことに不敵な面構えでバーリー卿を怪演した阿部達雄が印象に残る。

ところで楽日の22日は大型台風が関西ヘ最接近した日だった。雨風を覚悟で観劇に出かけたのだが、さて芝居が跳ねて帰る段になって、その影響をもろに被ることになった。交通機関がすべてストップしたのだ。JR尼崎駅で西明石行に乗ったものの、電車は1cmたりとも動かない。日にちが変わる頃になって一駅西の立花駅まで進むが、さあ、それから朝7時まで停車状態、いや監禁状態が続く。眠れない。ただ買い込んだ缶ビールを呑んで漫然と時間を潰すだけ。けっきょく家にたどり着いたのは翌日の午前9時だった、トホホ。
千秋楽の前日には、上演後にアフタートークがあった。シラー研究家の津田氏(阪大教授)、ドイツ近代文化に詳しい柏木氏(関大教授)が、演出の田中氏の司会のもとで充実した議論を展開した。そのあと、打ち上げには一日早いのだが、アフター・アフタートークがあり、酒になった。柏木氏差し入れの、その名も「メアリー・ステュアート」なるシャンパンで乾杯。まことに美味であった。
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2017年11月01日

[vol.10]英雄の妻

ギリシア神話伝説中で最強の男、といえばヘラクレスを置いて他に誰もいない。12の功業といわれる冒険行を筆頭に、世界中を渡り歩き、いや冥界にまで足を踏み入れ、数々の悪漢怪物怪獣を退治して英雄の名を欲しいままにした(その遥か後裔が「灰色の脳細胞」を駆使して今なお活躍中であることは諸賢よくご承知のところであろう)。

このヘラクレス、また並外れた大酒のみ、大飯くらいであったことが知られている。

女神(ペルセポネ)が、あなた(ヘラクレス)の到着を知るとすぐに/パンを焼き、つぶし豆のスープの鍋を二つ三つ火に掛け、/牛を丸ごと炭火であぶり、/平ケーキや丸パンを焼きました。
(アリストパネス『蛙』503〜507行、内田次信訳)

(ヘラクレスは)酒甕3個分はたっぷり入る/酒杯を取り上げ、/口にあてがい呑み干した、彼のためにとポロス(ケンタウロス族の一人、引用者注)が/水と和えて手渡した、その酒杯を。
(ステシコロス『ゲリュオン譚』断片181)


しかしこのヘラクレス、飲食に執心するあまりに周りの空気が読めず、つい粗相をしてしまうことがある。

おい、そこの者、なぜまたそんなむつかしい、思いつめた顔をしておるのだ。/使用人の分際で客に仏頂面を見せるでない。/心底愛想よく迎えるものだ。/[……]さあこれを聞いておれさまの言うことがわかったら、/わが身のいまあるを嬉しと思うて、飲め、今日の命だけが/おまえのもの、それ以外は運まかせと心得よ。/[……]さあ、悲しみよさよならだ、/おれといっしょに飲まんか、悪運を乗り越えるんだ。/花環を頭に乗っけてな。
(エウリピデス『アルケスティス』773〜796行)


友人アドメトスの亡妻アルケスティスの葬儀の日に偶然来合わせたヘラクレスは、弔事を知らされぬままアドメトスから歓待される。元来飲食に目が無いヘラクレスはいやに静寂な邸内の様子をいぶかりながらも、つい度を過ごして酔余放歌高吟するに至る。世に無敵の勇者でありながら、時に見せるこのネジの弛み具合が巷間人気を呼ぶゆえんだろう。

行くところ敵なしの強者ヘラクレスが、あるときパタリと死ぬ。か弱い女の手で、長年連れ添った妻の手で。このことはソポクレスが『トラキスの女たち』という作品で書いている。その様以下のごとし。

冒険の旅の先々で女出入りもあった。エウボイア島のオイカリアの町の王女イオレもその一人である。ヘラクレスが連れ帰った若い乙女イオレを見て、「これは夫の愛人ではなかろうか」と妻デイアネイラの心が騒ぐ。彼女は夫の心を繋ぎ止めようと、手元にあった媚薬を用いる。しかしその媚薬の実体は、かつてヘラクレスに退治された怪物ケンタウロスの復讐心が込められた毒薬だった。それを彼女は夫ヘラクレスの肌着に塗り付ける、毒とも知らずに。ヘラクレスは身もだえし苦しみつつ死に向かう。人間界最高の勇者ヘラクレスがか弱き女の手で倒される。愛を取り戻そうとして使われた薬が、実は毒だった。このあと妻デイアネイラも己の行為の思いもよらぬ結果に驚いて、自死して果てる。

夫の愛を失ったと思った妻が媚薬という名に唆されてそれを夫に用いた、留守がちで自分勝手な夫を、そうすることで繋ぎ止めようとして。「つつましやかでも幸せな家庭が欲しかったのだ」と。

いや、本当は毒薬であることを、彼女は知っていたのではなかろうか。夫を殺し自分も死んで、それによって夫を自分の手に取り戻そうとしたのだ。

いや、媚薬か毒薬か、半信半疑だったのかもしれない。もし媚薬ならその効き目で夫は戻って来る。毒薬であるとしても死が夫を妻の許へ返す。どちらにしても夫は戻って来る、こう踏んで彼女は薬を使ったのだ。媚薬なら良し、毒薬でもまた良し、と思いつつ。

英雄の妻を演じるのは、彼女には荷が重すぎた。

今宵の食卓に上るのは「クーロス」という銘柄のギリシア産の赤ワインである。決して高価な品ではない。だが飲み心地は悪くない。驚愕、狼狽、そして覚悟――デイアネイラの心は那辺にあるのか。ほろ酔いの羅針盤はいずこを指すのか。
posted by 出町 柳 at 10:00| Comment(0) | 読む・歩く・飲む