岡山におけるお遣い物の定番「大手饅頭」の本舗である。このあたり一帯は京橋にちなんで橋本町(いまは町名変更して京橋町というらしい)という。橋本町の伊部屋の大手饅頭といえば、岡山では小橋の東、中納言の廣栄堂のきび団子と並び称される銘菓である。いずれの店も古い。前者は創業180年、後者は160年だという。
私は度度、大手饅頭の夢を見る。大概は橋本町の大手饅頭の店に這入って、上り口に腰を掛けて饅頭を食う夢である。
早くから店を仕舞うと云う事を、子供の時に覚えているので、夢ではいつでも、もう無くなりそうで、間に合わないから、大急ぎと云う、せかせかした気持ちがする。
子供の時は、普通のが二文で、大きいのが五文で、白い皮の一銭のは、法事のお供えだと思った。
大きくなってからも,県中の時も、六高の時も、大手饅頭はしょっちゅう買って来て食った。
二三年前、続けて夢を見た後で、あんまり食いたかったので、帰郷する友達に、今度東京に来る時、お土産に買って来てくれと頼んだ。(内田百閨w郷夢散録――大手饅頭』(『幼年時代』福武文庫 112頁))
この銘菓を子供時分に買いに走るというのは、いかにも裕福な造り酒屋のボンらしいが、われわれ貧乏長屋の小倅にはとうてい真似のできないことだった。時代も時代、戦後間もない頃だったから、あの高級な甘みを味わえるのは、到来物のおすそ分けのそのまた一部にありついた時くらいだった。大人になってからは土産の品によく使った。
ふた口くらいの量の餡子を白い薄皮がぴたりと張り付いて被っている。皮を通して中味の暗褐色の餡子が見えている。日持ちがする。賞味期限なんて、あって無きがごとし、少々遅れても大丈夫である。
しかし、大手饅頭は餡を煮つめてあるから、腐ると云う事はないと子供の時に聞いている。食って見ると、腐ってはいないが、口ざわりがよくない。失望したけれども、そう云う顔はしないで、家の者には岡山の名物を食えと云ってやったら、迷惑そうな顔をして、一つ二つ食った。
二三日すると、食い残しの大手饅頭に毛が生えたと云って、台所で騒ぎ出した。
「毛が生えても大丈夫である。布巾でその毛を拭き取って、御飯蒸しに入れて、蒸しなおしてくれ」と私が云った。
心配だから台所に顔をのぞけて、それとなく、におって見ると、ぷうぷう吹き出している湯気が少し黴臭かった。(同上、113頁)
先日所用があって岡山へ行って来た。用事を済ませた夕刻から、知り合いと酒になった。普通の住宅街の中にある気の置けない居酒屋N屋である。瀬戸内の小魚や貝類なども美味いが、どんぶり鉢にたっぷりの出汁に花かつおと豆腐を入れ込んだ「湯豆腐」が特に美味い。そして安い。庶民の味である。おひらきの後、駅ビルの売店で大手饅頭を買い込み、新幹線に乗る。
百關謳カは酒飲みのくせに大手饅頭のような甘いものも食べる。といって甘党というわけでもない。大手饅頭は、わけあって(あったらしい)出京以来ずっと郷里岡山へは帰ることが無かった先生にとって、特別の故郷の味だったのだろう。魚島鮨とお祭鮨(いずれも五目寿司で前者が春、後者が秋)などもそうである。春秋の季節になるとわざわざこさえて、琴を通して昵懇の間柄だった箏曲の大家宮城道雄検校邸に届けた。寿司飯に混ぜる具材はかんぴょう、しいたけ、高野豆腐など通常の品に加えて旬の山海の珍味、筍、松茸、海老、烏賊、鯛、平目、白魚などで20種類以上になったという。生家が没落する前の幼少期に馴染んだ味を偲んでのことだったのだろう。舌は昔の味をしっかり覚えていたのだ。