いつ頃になるだろう。それもはっきり覚えないが、もとより戦後で、かれこれ十年前ぐらいにはなるだろう。神戸のドイツ系のお菓子の製造会社から、誕生日のお祝いとしてお菓子の小包がとどいた。添えられた手紙では、私が健康で仕事をつづけているのが祝福され、従業員一同の名前になっているが、それがまた日本流の、とはいえこの頃では珍しい巻紙で、筆のあとも達者な本格的なものであるのに私はいよいよびっくりし、開けてみると、中味はドイツ流の「バウムクーヘン」であった。(野上彌生子『バウムクーヘンの話』)
彌生子女史の長男素一氏は京大のイタリア文学の教授だった。昔むかしその講筵に列したことがある。春風駘蕩たる風貌ならびに口跡は、他の教授らの熾烈な演習授業の間にあって恰好の逃避所となった。氏の朝食のパンは神戸フロインドリーブ店のもの、との噂だった。当時京都から見ると神戸はすこぶるハイカラな都会だった。フロインドリーブと聞いただけで、北白川の教授宅の朝の食卓の馥郁たる雰囲気が偲ばれた。
回顧談はさておこう。いや、もっと古い話になる。地中海域の人々は早くからパンを食べていた。ミノア文明の中心地クレタ島の遺跡からの出土品にパン焼き窯(イプノスという)があることからも、それは知られる。パンの種類は多種多様である。豆パン、ナストス、削りパン、高椅子、バッキュロス、炙り焼きパン、二度焼き、アタビュリテス、アカイネ、オベリアス、クリバノス、灰焼きパン、揚げパン、チーズパン、胡麻パン、などなど。いずれも形状、製法、性質、内容による名称と思われるが、名前を聞いてもよくわからないものもある。
上の中にオべリアスとある。これに注目あれ。物の本によると、これは串(オベリスコス)に刺して焼かれるところからその名が由来したとのことである(ユリウス・ポルクス『辞林』)。串といっても太く長い。棒といったほうがよいくらいだ。壺絵に描かれたのを見ると、1メートルほどの棒に捏ねた小麦粉を巻きつけて焼いたのを2人がかりで担いでいる。小さいもので重さ26キログラム、重いものになると79キログラムになったという。オーブンにはとても入らない。串、いや棒に捏ねた小麦粉を巻きつけて、直火の上をぐるぐる回しながら焼いたのである。
これぞバウムクーヘンの原型ならん。そう思ってよいだろう。芯棒に捏ねた小麦粉を塗り付けて焼き、焦げ目がつくとその上にまた塗りつけて焼く。それを繰り返せば、輪切りにしたとき木(バウム)の年輪状の模様が付いた菓子パン(クーヘン)が出来上がる。
ドイツ生まれのバウムクーヘンが古代ギリシアのオベリアスの直系か否か、不明である。しかしこの両者にはかなりの程度の近親関係がある、あるのではないかと思わせる。それかあらぬか、3、4年前菓子舗ユーハイムでは古代ギリシアのオベリアスを現代風に再現した製品を発表した。意識した上での仕事だろう。
神戸大丸(デパート)の西向かい、南京町に近いところにユーハイムの本店がある。JR三ノ宮駅前のそごうデパートの地階にもユーハイムの販売店舗がある。ここにもバウムクーヘンはある。甘党諸氏はもちろんのこと、とにかく興味ある方々はぜひとも寄ってみられたい。一切れ頬張れば古代地中海の爽やかな海風が口一杯に広がるだろう。