2019年01月15日

[vol.39]忘年会

師走である。師が走る季節である。当方は、しかし5年前に退職したから、もう走る必要がなくなった。とはいうものの、それなりに忙しいことは忙しい。その点は以前と変わらない。ただ無暗にあちこち走り廻らないだけである。

中旬に3日連続して忘年会があった。その1。JR神戸線に甲子園口という駅がある。
駅南口にちょっとした商店街があり、その中に「えんぐち」という居酒屋がある。愚生含めて3人、耄碌三銃士が寄って飲んだ(ダルタニヤンは欠席)。極小規模の忘年会である。いずれもかつて同じ職場にいた者同士、時々寄って無事を確かめあう仲である。居残って威張り続けている元の上司をさんざ腐して酒のアテにし、バイトの男子が某大学野球部の投手だと聞いて、いずれ甲子園で勇姿を見せろと激励(!?)する。

翌日は阪和線で一路和歌山へ。かつて部長職を務めていた県立医大ヨット部の追いコンに参加する。場所はJR和歌山駅前の居酒屋「梅屋」。OBその他を入れて総勢30余名が集う。部員集めに苦労した昔とは隔世の感あり。当時主将として部を引っ張っていたのが、いまや南和歌山医療センター院長になり、和歌山県セーリング連盟の会長になっている。現部員に、近い将来オリンピックに出場しそうなのが男女一人ずついるという。楽しみである。追い出されてゆくのは4人。来春3月にはその4人全員が和歌山の地を離れるという。その身はいずこにあろうとも6年間馴染んだ和歌浦の爽やかな水の感触は忘れることはあるまい――そんな餞(?)の言葉を贈る。家に帰り着いたら12時を回っていた。

引き続いて3日目は大阪梅田の北新地。例の「阪神教育問題懇談会」の忘年会。処はいつもの「ふ留井」。ひとり(酒豪のスペイン演劇研究者)はよんどころ無い用事で名古屋まで出掛けて欠席だが、残りの4名がそれでも賑やかに甲論乙駁し、また麗しき熟女の女将と大阪漫才を繰り広げながら今年を締めくくる。いつもの献立に加えて本日の一品はオコゼの煮つけ。一同満足の内に酒が進む。

忘年会も3日連続となると、老体にはさすがに応える。それでも若い学徒との交歓には老醜の身を一瞬若返らせる魔力があるし、教育問題懇談にかこつけて昨今の巷の弊風を嘆じて声高めれば、身の内に籠り胸塞がらせる雑念も吹き払われて身も心も軽くなる。この効用のあらばこそ年末には師も、いやそうでない者も、同憂の士を求めて走り回るのだ。

年の瀬30日には餅つきに誘われている。秋にギリシア悲劇『メデイア』を上演した劇団「清流劇場」の毎年恒例の行事である。メデイアが舞台上でむしゃむしゃ食べたのはホットケーキだったが、いやそれはそれとして、この年忘れ餅つき大会には万障繰り合わせても参加せねばなるまい。
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2019年01月01日

[vol.38]長府そして萩まで

秋に小さなツアーに便乗して旅をした。年が明けたからもう昨年のことになる。昨年秋の劇団清流劇場公演『メデイア』(10/17〜21、一心寺シアター倶楽)に関わって濃縮した5日間を過ごしたその骨休めである。

某日夕刻大阪の泉大津で船に乗り(阪九フェリー)、ツアー所定の船の夕食を食べながら瀬戸内海を西航。翌日目を覚ますと新門司港である。上陸後はバスで目と鼻の先の下関に渡り、唐戸市場を冷やかす。あとは道なりに山陰の海岸に出て長府まで。

好天である。沿道の家々には熟れた柿の実が葉を落とした木にびっしり。飢えていた昔を思い出すと今にも跳び付きたいところだが、一向に減っていないのをみると今どきの子供たちは見向きもしないのか。陽が西に傾く頃、宿の「大谷山荘」に入る。

翌日は萩へ。松陰神社や城下町の風情を楽しむ。どことも家々の生け垣の中で夏ミカンが実を着けている。その静かで落ち着いたたたずまいは、維新で暴れた長州藩士の本拠地とは到底思えぬほどである。藩主の屋敷も――昨日見た長府の支藩のそれはまことに小ぶりで質素であった。

さて、「大谷山荘」のことも言っておかねばなるまい。ここはアベさんがロシアのプーチンさんの接待に使った宿として有名になったが、山陰海岸から少し山中に入った音信川のほとりにある近代的なホテルである。部屋もモダンな造りで、都心のホテルと変わるところがない。なにより嬉しいのは南窓の一角に露天風呂形式の湯殿があり、山峡を一望しながら湯を楽しむことができることだ。夕食もプーチン効果で一躍全国に名が知れ渡った銘酒「獺祭」をお伴に、山海の珍味をじゅうぶんに楽しむ趣向。

言い忘れたが先夜の船中泊も決して悪くはなかった。知人にクルーズ愛好家がいる。夏の終わりに香港まで行って来たらしく、洋上の豪華客船では「寝ていてもエンジン音も振動もぜんぜん無し、静寂極まる」とのたもうていたが、なに、瀬戸内海は波静か、船もそれなりの大きさがあるゆえに、毫も気遣う要なし。たまに聞こえる波音も、祇園の宿の枕の下ゆく白川の瀬音と思えば、いっそ粋というもの。朝食が焼いた塩サバに味噌汁というのも嬉しい。

山陰海岸の青海島を真向かいに臨む仙崎の町は童謡詩人金子みすずの故郷という。一篇上掲し、敬意を表したい。
鯨法会
鯨法会は春のくれ      おきでくじらの子がひとり
海にとびうおとれるころ   その鳴るかねをききながら
はまのお寺で鳴るかねが   死んだ父さま、母さまを
ゆれて水面をわたるとき   こいし、こいしとないてます
村のりょうしがはおり着て  海のおもてを、かねの音は
はまのお寺へいそぐとき   海のどこまで、ひびくやら

バスは萩から広島まで走る。
駅ビルのスペイン・バルでワインを飲み、新幹線で帰途につく。
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2018年12月15日

[vol.37]かにかくに

以前知多半島突端の宿で酒を酌み交わした仲間が今度は京都へ集合せよという。
祇園の白川沿いの宿で飯を食おうというのである。

紅葉どき、都大路は人並みに溢れかえっていた。阪急河原町駅から地上へ出て四条大橋を渡り、縄手通りを北上すると白川に行き当たる。そのすぐ右手が今宵の宿の「白梅」だ。

全部で5部屋しかない小さな宿の4部屋をわれら8人が占拠する。残る1部屋には「外人さんがお泊りどす」。

なぜ祇園か。年に1、2回小旅行をし、ご馳走を食べようという集りがある。知多半島や紀伊半島を回って来て、今回は秋の京都になったという、それだけのことだ。ただ仲間内に今春某医科大学の学長に選任された男がいて、その祝いも兼ねた。しかもそのご本人の馴染みの宿が祇園にあるというので、「じゃ、そこにしよう」となんとも安直な選定と相成った。それが「白梅」だったというわけ。

松茸をぶち込んだスキ焼を伏見の酒「古都千年」でいただく。まことに美味。
二次会は一階へ降りて小ぶりな和風バーで窓外の白川の波を眺めつつ軽くビール。

宿のすぐ近くに歌人吉井勇の歌碑がある。
かにかくに祇園は恋し寝るときも枕のしたを水のながるる

女将の話では、吉井勇は「白梅」を(「へえ、うちを」)常宿にしていたらしい。
九鬼周造のようにここから大学へ講義に通うようなことはなかったが、祇園をこよなく愛した人だった。われわれには粋な遊蕩児という印象が強いが、出自は薩摩隼人の家柄。祖父が維新後に伯爵の爵位を受けた人である。毎年11月8日には歌碑のまえでちょっとした祭りが行なわれるとのこと。残念ながら5日早すぎて参列することは叶わなかった。

白川の水音を聞きながら床に就いた翌朝、思い立って高台寺まで足を延ばす。圓徳院にも寄って秀吉夫人ねねに敬意を表す。ここも随分な人出である。

仲間と解散後、紅葉には少し早いと見限って大阪へ取って返す。天王寺の市立美術館でルーヴル展を鑑賞する。「肖像芸術」というコンセプトゆえに、半数近くを占める彫像も古代エジプトの出土品以下人面像ばかりだ。絵画もしかり。彫像では『ホメロス像』、絵画ではベラスケス『スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリアの肖像』、レンブラント『ヴィーナスとキューピッド』、アルチンボルド『春』、『秋』、ボッティチェリ『赤い縁なし帽をかぶった若い男性の肖像』、アントワーヌ=ジャン・グロ『アルコレ橋のボナパルト』などが印象に残った。これらをパリのルーヴルで見たのは何時のことだったろう。

それにしても忙しい2日間だった。
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