2019年03月15日

[vol.43]辻原登を読む

いま辻原登の短篇集『不意撃ち』(河出書房新社)を読んでいる。辻原作品とはこれが初見参だ。

仲間三人と「木曜会」という読書会をしている。漱石の作品を読む会である。だからというわけで漱石山房の「木曜会」をわが集会も僭称している。以前にも書いた(かもしれない)が、会員は現在のところたった三名。会長は魯迅研究者にして作家たる仁――老いてなおその精力は衰えず、最近も『孔子と魯迅』(筑摩選書)なる著作を上梓した――そして漱石好きである。その指導よろしきを得ながら、漱石の作品をひとわたり読み進めてきた。そのちょっとした休憩時間に別の何かを読もうと捜し廻った結果、辻原の最新作品と相成った。ちなみに辻原は上記の魯迅研究者兼作家氏の古い知人である。少年辻原に漢文の手ほどきをしたことがあるという。

その辻原の最新作品集『不意撃ち』を携えて京都まで行って来た。東山五条を清水の方へ上がりかけたところに、「坂のホテル京都」がある。出来て1年ほどの新しいホテルだが、淡路島の有名ホテル「ホテル・ニュー淡路」の姉妹ホテルであるせいか、魚介類の料理が京都にしては新鮮で美味い。われらは合計11名という人数だったし、祝い膳(男性一人が喜寿、女性一人が某句会で県知事賞受賞)も兼ねていたので、敷地内の別棟に宴席を設けてもらった。これが良かった。食後、木屋町五条まで二次会に繰り出したのはいつものとおり。

翌日も好天。ホテルからブラブラ歩いて建仁寺に詣で、俵屋宗達の「風神雷神図」、法堂の天井画小泉淳作「双龍図」などを見る。そのあと京阪電車で四条から丸太町まで行き、河原町丸太町のつけ麺処「MARUTA」で昼食。愚息の友人が脱サラして始めた店である。高校大学とラグビーをやっていた男だからか、全日本級の選手もよく立ち寄るようで、店の壁にはジャージなどの記念品がさりげなく掛っている。

持ち出しては来たものの、『不意撃ち』の読書は進まない。五篇の短篇を収録した一冊だが、初出はいずれも「文藝」、「新潮」、「すばる」など名の通った文芸誌に掲載されたものである。といって肩ひじ張った深刻な文学作品、ではない。『いかなる因果にて』は手軽な小旅行の記録に過ぎない。『渡鹿野』は巷に蠢く庶民の生活報告、それもまとまりに欠ける中間小説としかいいようのない一篇。ただ前者では同級生の中学時代をめぐる回顧譚の中に南紀新宮あたりの名所とか音楽評論家吉田秀和の墓とかを埋め込み、後者ではデリヘル稼業従事者のあざとい日常生活の中に「梅川」なる言葉を書き込むことによって近松の『冥途の飛脚』の遊女梅川や40年ほど以前に起きた大阪の三菱銀行北畠支店銃撃事件の犯人梅川昭美を想起させるという仕掛けを施す。それによって、これは単なる読み物以上の文学的あるいは社会派的視点をも有するものと装ってはいる。が、そこに人の世を透視するような深みは、残念ながら無い。

辻原は芥川賞をはじめ著名な文学賞を軒並み受賞している人気作家だが、賞は決して重荷にならない、いや無駄ではない――といえるだろう。性風俗業界に取材した中間小説でも、旅日記に私的回顧譚を織り交ぜたルポでも、名だたる文芸誌が三顧の礼をもって迎えてくれるのだから。夏目漱石が真の国民作家となるために求められるのはこの手の観察眼と取材力だった、といえるかもしれない。
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2019年03月01日

[vol.42]再会

N嬢が帰って来た。前に一度触れたが、昔のゼミの学生で今は台湾の大学(東呉大学)の院生。そして現地の日本語学校の講師をしながら日本語教育の専門家になろうとしている。時まさに春節、2月5日が旧正月の元日に当たるから、いわば正月休みを利用しての帰省ということになる。

金沢で家族に無事な姿を見せた後、わざわざ神戸まで来てくれた。住吉の鮨処「真砂」で平目の薄造りを皮切りに、瀬戸内の新春のネタをつまみながら「白鶴」の徳利を傾けて久闊を叙す。「こんなもの、どうですか」と店主が気を利かして出してくれたのが手長章魚の煮つけ。小ぶりで柔らかく、味がよく染みていて美味。ふつつかながらわが食人生で初見参だった。

翌日早くに東上する予定があるので控えますと言いながら、それでも注された盃は軽快に干す。相変わらずの酒豪である。昨夏も愚妻と二人で大いに飲んで暑気を吹き飛ばしたものだった。

彼女、6月には修士課程を修了する。「あと、どうするの?」しばらく台北に残って「どこか就職先を探すつもり」だと言う。日本に帰って「嫁入り先を探すことも考えてます」とも言う。難しい問題だ。ただ18名いたゼミ仲間のうち結婚したのはまだ3、4名だという。皆さん、ゆっくりしておられる。

愚生も長い人生で何度か月下氷人を務めたことがある。だが昨今、とんとお呼びがかからなくなった。最近の若者は結婚相手を捜すのに、従来の「見合い」という男女斡旋様式を敬遠し、しかるべき相手は他人の手を煩わすことなく自分で見つけ出す傾向にある。昔だってそうだった――という人も大勢いるが。「見合い」なければ「仲人」なし。良いか悪いかは別にして、そういうことになっている。月下氷人はともかく、披露宴に招ばれることもなくなった(これには種々の要因が絡んでくるのだろうが)。

「見合い」という形式を踏むことなく、自由に相手を見つけるのもいい事なのだろうが、困るのは自分の力では見つけられない者の場合だ(これが結構居る)。自主性は結構なのだが、そこにいくばくかの強制力を伴なった場合――半ば強制的な紹介――のほうがうまくゆくように思えるのだが、これは年寄りの僻目か。いずれにしても近い将来N嬢が良縁に恵まれるよう、祈るや切。

午後4時前から食べて話して飲むこと延々3時間、8時前に散会。その間に、以前ドナウを下りウィーン、プラハ、ブダペストをともに回遊したK夫妻が偶然来店し、「久し振り」と再会した。プラハの街が懐かしく思い出される。その一方で、次は西欧ではなく、台湾を訪れて日影丈吉の文の跡に触れてみるのも悪くない――そう思えてきた。

そろそろ梅の季節である。近くに岡本の梅林がある。北都は猛吹雪、東都も積雪との予報が出ているが、神戸は好天。ただ気温は低く、寒い。さて、梅はどう花を付けるだろうか。
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2019年02月15日

[vol.41]酒飲みの自己弁護

晩酌は「とりあえずビール」で始めるが、そのあとはその時家にあるもの、日本酒とか焼酎とかワインとかを飲み、ビールをそのまま続けることもある。べつにその日の食事の種類(和・洋・中)に合わせるわけではない。ステーキだから赤ワインを抜くべし、という巷間の食事作法とはまず関係ない。飲めるだけで嬉しかった時代を経た身には、酒が主で食事が従。赤ワインにステーキとなれば上出来、赤ワインと焼き魚、いや赤ワインと筑前煮という組み合わせでも一向に構わない。

幾世代にもわたって受け継がれてきた食事作法=飲食の取り合わせを破るのは各人の自由だし、またそこに至るやむを得ぬ理由・要因があるにはあるのだが、しかしあまり他人と違う振る舞いをしていると、ひょっとして「己は味盲」ではあるまいか、との疑念が湧いてくる。

日本酒に「甘口」、「辛口」がある。夕餉に家人と飲んでいて、「これ、甘すぎる。もっと辛いほうがよろしいわ」と言われて、こちらは、はて、そうかなと思いまどう。味覚に絶対尺度はなく、各人それぞれの美的感度によるものだと思えばよいのだが、10人のうち8人が甘口だと言えば、「いや、辛口です」とは、ちょっと言いづらい。そのくせ世の皆に伍して名のある銘酒を求めたがる。見栄っ張りの未盲者のおぞましき姿でもあろうか。

過日JR摂津本山駅南口の南、2号線を渡ってすぐのところの酒小売店「大宗」を訪ねた。世話になった人へのお礼として伏見の酒「古都千年」を求めて行ったのだが、無い。むりもない、灘酒の聖地魚崎郷で伏見の酒を求めるほうがどうかしている。思い直して店主が勧める栃木の酒「惣誉」と地元の千代田蔵の「道灌」を贖う。「道灌」は江戸城を築城した太田道灌ゆかりの者の創業とやらで近江八幡の太田酒造が本家本元らしいが、摂津の国魚崎郷に酒造場千代田蔵を設け、そこで醸造してできたのが遠祖の名を継ぐこの銘酒「道灌」。燗でも冷やでもよし、年を越してもちびちびと愛飲している。

「惣誉」のほうは暮れの餅つき会(劇団清流劇場主催)へ持参し、餅をつきあげたあとの夕刻に始まった鍋の場で皆で飲んだ。ちょっと甘口(わが味覚では!?)だけど、喉越しよく、あっというまに飲み干された。

酒を飲むとき、唯一心していることがある。家の内外を問わず夕刻に飲むことが予定されている場合、昼間の酒は絶対に自制すること――いくら勧められても――ということだ。これは郷里の大先輩内田百關謳カを見習ってのことである。じっさい昼に飲むと宵の酒はほんとうに美味くない。

もっとも西欧ではたいてい皆昼間から酒を飲んでいる。昼食には必ず酒が付くのである。そして夜にも飲む。食習慣の違いなのだろうが、われわれには一日の仕事を終えた夕刻に一杯というのが、どうやらいちばん似合っている。酒を飲むことに意味をもたせようとすれば、自然とそうなる。われわれは酒精分だけでなく、一日刻みの人生をも飲んでいるのである。
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