2018年07月15日

[vol.27]南風

和田三造という洋画家がいた。その作品に「南風」と題された絵がある。代表作(少なくともその一)であると、筆者は思っている。制作されたのは明治40年(1907年)で、東京の国立近代美術館が所蔵している。夏になるとこの絵を思い出す。

漁船と思しき船の後甲板に4人の男が思い思いの格好でこちらを向いている。中央に立つ男は上半身裸で筋骨隆々たる胸と腕を見せ、頭に被った灰色の上着を風になびかせ、下半身には赤い布を纏っている。被った上着のせいで半分陰になったその目は前方を凝視している。あとの3人は座り込んでいる。手前の男は横向きで、日陰で暗くなった横顔を見せている。皆の背後に島影がある。海には白波が立っている。男たちは陽光と風を正面から受けている。南航する船、陽が踊り風がざわめく。夏である。

この絵の原画を見たのは6、7年前に姫路で催された「和田三造展」でだった。それまでは少年雑誌や絵画教科書に掲載された写真版でお目にかかっただけだった。
絵を見たり描いたりするのは、少年の頃から好きだった。家に画集があったわけではない。教科書や学習雑誌の口絵がその紹介役だった。総天然色の写真版の泰西名画である。年に何度か町のデパート5階の催し場にかかる地方巡回の絵画展――二科展とか光風会展なども少年の美術嗜好を大いに刺激した。学生時代には帰省毎に倉敷の大原美術館へ通った。当時、観覧者はまだ少数で、好きなだけ時間をかけて見ることができ、退館後は隣のツタの絡む喫茶店に坐って遠くの友人に絵葉書を書き送った、いずれはルーブルから書こうと夢想しながら。

少年は油絵の具が欲しくてたまらないのに手にすることができず、水彩絵の具を厚く塗り重ねて油彩画の質感を出そうと躍起になっていた。求める画材も川端に錨を入れた機帆船とか機関庫に出入りする蒸気機関車とかだった。夏草に機缶車の車輪来て止まる――という一句を知ってから機関庫通いは俄然意味のあるものとなった。

明治40年(1907年)といえば日露戦争直後である。日本は近代化が進み、世界の大国化を目指す途を歩もうとしていた。南進する船上の男たちは、といってその国運を背負っているわけではない。それをこの絵に求めるのは恐らく間違っている。男たちは明るい陽光と海原を渡る風を面に受けて船を進めているだけである。陽と風の恵みを海に生きる者なりに受け止めているだけである、力強く。そこには単純な力強さがある。ただその明るさの中に、国の明るさと時代の明るさをも、併せて感得できるといえるかもしれない。
姫路の展覧会場で求めた絵葉書の「南風」は、いまわが茅屋の書棚の隅に小さな額縁に収められて鎮座している。夏になるとそれを見ながらこの海はどこの海だろうかと思ったりする。瀬戸内の海にしては少し荒すぎるのだ。

今宵の晩酌は北海道増毛産の吟醸酒「國稀」。北海道に行って来た友人の土産である。
家人特製の山椒の実入りミソを添えた胡瓜と蛸の酢の物を肴にして冷やで飲む。
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2018年07月01日

[vol.26]家庭音楽会

階下からプ―プ―という音が聞こえてくる。家人がフルートをいじっているのだ。わが茅屋は狭い。かつ安普請である。邸内に広大な庭園があって遠くの部屋の音は届かぬ、その部屋には防音装置が施してあっていかなる騒音も遮断する―そんなことがありうるはずがない。

なぜフルートか。わが飲み友達のそのまた友人に西宮在住のちょっとした金持ちがいて、これが趣味でフルートをやる。奥方は音大出身のピアニスト、令嬢もピアノを弾く。その一家が友人知人を集め、邸宅のリビングルームを開放して音楽会を開く。

某月某日、午後2時から宵の口まで第1部クラシック、第2部ジャズ、シャンソン、合唱という2部構成で音楽発表会を催し、終演後は「えり膳」の弁当と持ち寄りの酒、ビール、ワインで合評と談笑。相集う者およそ30名。なかなかの会であるが、これがもう4年ほど続いている。

中学生の頃吹奏楽部でフルートを吹いていたという家人は、古い楽器を何處からか引っ張り出して来てこれに参加し、メンデルスゾーンの「歌の翼に」の合奏(ピアノを入れて計4人)に加わったが、上手な仲間の陰に隠れて何とか大過なく吹き終えた―ようだった。

19世紀のウィーンにもこうした音楽会があった。楽都ウィーンを代表する楽聖ハイドン、モーツァルト、ベートーベンらの音楽活動を支援したのは大貴族たちだった。だが彼らは対ナポレオン戦争で多大な負債を抱えて没落し、パトロンの座を降りてしまった。この没落貴族に代わって音楽をはじめとするウィーンの文化活動を支えたのは、新たに登場してきた富裕な中産階級だった。シューベルトが活動したのはこの時期である。

「シューベルティアーデ」と称される音楽会があった。シューベルトを囲む音楽付きの親睦会である。これが富裕な一般市民の家庭で開かれ、多くの市民―画家、詩人、劇作家、音楽家、中堅貴族、役人、医者たち―が参加した。従来の大音楽会の常連であった名門大貴族、高級官僚、宮廷音楽家に代わる人たちである。わたしたちに馴染み深いシューベルトの数々の歌曲は、こうした家庭的サロンの中から生まれてきたといってよい。

あるときの「シューベルティアーデ」に出席した人間の日記がある。その一部を借りる。
1826年12月15日。シュパウンのところへ行く。そこでとても大きなシューベルティアーデが催されるからだ。入り口でフリッツから厳かに、ハースからとても小生意気な態度で迎えられた。パーティの出席者はすごい面々だった。[……]今日とくに興奮した雰囲気のもとで涙が出そうなほど感動したのは、第五行進曲のトリオだったが、この曲を聴くたびに優しかった母を思い出す。音楽が終わると、今度はご馳走で舌鼓を打ち、それから踊った……

西宮のシュパウン家では、音楽のあと踊りはなく、一杯きこしめした歌自慢がジャズのスタンダードナンバーを歌う。それを聞きながら愚生は「剣菱」を戴く。8時半散会。
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2018年06月15日

[vol.25]あるべきか、あらぬべきか

いま『エレクトラ』を読んでいる。『オイディプス王』や『アンティゴネ』と同じくソポクレスの作品である。この2作品ほど有名ではないが、悪い作品ではない。

古代ギリシア文学史の劈頭を飾る叙事詩『イリアス』で活躍するギリシア軍の総大将アガメムノンの娘、それがエレクトラである。トロイア戦争終結後、アガメムノンは祖国ミュケナイの地へ凱旋するが、その当日に妻クリュタイメストラの手で惨殺される。娘エレクトラは他国に亡命している弟オレステスの帰国を待って母を殺し、父の復讐を遂げる。

この血なまぐさい復讐譚は3大詩人アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスのいずれもが手がけ、そのいずれの作品も残存し、読むことができる。むろん三者三様の作品に仕上がっていて、それぞれの作風を窺うことができる。

アイスキュロスでは、共同体の秩序を司るものが氏族社会特有の力の正義から時代とともに市民社会の法の正義へと移行し発展するその過程に観点が置かれ、エウリピデスでは、力の正義を奉じて父の復讐に立ち上がったオレステスがそのために実の母親を殺すことの正当な理由を見いだせず、罪の意識に悩む姿が示される。復讐という大義に伴う私的な罪の意識の誕生とそれに悩む姿である。ソポクレスはただ淡々と復讐を敢行するエレクトラを描く。

なぜいま『エレクトラ』を、それもソポクレスのそれを読むのか。じつは舞台用の台本を作ろうという意図があってのことなのである。長い間ギリシア悲劇を読んできたが、昨今はそれを舞台に乗せて表現することに意を注いでいる。その場合、2400年前のアテナイの野外劇場とはまったく異なる環境で挙行することになる。それはそれで仕方ないが、それでも上演する意味はやはりある。2400年後の現代にも通用する意義を、どの作品も保持しているからである。時代を越えて生き続けるギリシア悲劇を、だから真の意味での古典と呼んでよいのである。

ただ一つ心せねばならぬことがある。古典により容易に気軽に接してもらい、かつ理解してもらうために、翻訳文の措辞文体をできる限り日常化すること、そして生きいきとした日本語にすることである。かつてもギリシア悲劇全盛期に居合わせたアリストパネスは、喜劇詩人の立場から、あるいは演劇界に精通した見巧者の視点から、リアリズムに徹するエウリピデスをアイスキュロスの対極に置いて称揚(と私見する)した。

たとえば喜劇『蛙』の中でエウリピデスにこんなことを言わせている。
エウリピデス さらに劇のはじめから無駄な話は一字一句置かないようにした。/わたしの劇では女も奴隷も、また主人も乙女も、老女までも/みな負けず劣らずものを言うのだ。(948〜950)

エウリピデス わたしは家庭で馴染みの日常のものごとを舞台にのせた。(959)

いきおい言辞様態もそれにふさわしい日常的、現実的、写実的なものとなる。加えて観客が耳に聞いて即座に理解できる平易な表現でなければならない。でなければ劇の脚本に、いや芝居の台本にならない。しかし一言しておくが、これはいわゆる「古典の卑俗化」では決してない。

それにしても劇作品の翻訳は難しい。英語を習いたてのころ、、あのハムレットのセリフ、To be or not to be. That is a question. をどう訳すか、訳してみろ、と先輩に言われたことがある。あれはいまどう訳されているのだろうか。舞台の上の役者に喋らせるにはどんな日本語がよいのだろうか。

某日、翻訳の筆を中断して甲子園球場へ出掛けた。DeNA相手の観戦切符が手に入ったからである。が、打棒まったく振るわず敗退。帰途阪神芦屋で下車して近くの居酒屋「をさむ」に寄る。白エビの天麩羅と莢ごと焼いた空豆などを抓みながら淡路島の酒「都美人」を冷やで飲む。
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